前回(スタンフォードの憂鬱…?大学教員の30代)から、ずいぶんごぶさたしてしまいました。先週まで新しい授業をしていて、思っていたより忙しかったので……。スタンフォードはクオーター制を採っていて、今は1年を4つ(クオーター)、春・夏・秋・冬学期に分けたうちの、ちょうど冬学期が終わったところです。カリフォルニア州のサンフランシスコ郊外にあるスタンフォードの現在(3月15日)の気温を見てみたら華氏74度(摂氏20度ちょっと)、そりゃあ冬学期も終わるよね、という感じです……。まあ、この辺りは冬でも暖かいのですが。
今は春休み、久しぶりに出張です。ニューヨーク州北部にあるコーネル大学への飛行機の中でこの原稿を推敲しています(書いたのは、久しぶりにショッピングに行ったサンフラだけど)。予報ではあちらは華氏15度(氷点は華氏32度……)。今更ながら、アメリカはデカい。 ※行ってみたら雪が降っていました
それはともかく、今回筆が遅かった理由のひとつは、何を書こうかちょっと迷っていたこと。ここのところ話題になっていたSTAP細胞関連で書こうかと思ったのですが、まだ情報が錯綜しているうえに、ぼく自身の考えがまとまっていないもので。今回の問題は科学者の倫理という側面、研究とお金の関係、学者と一般社会のかかわり、などなど切り口がありすぎて、不用意に語るのはちょっと躊躇してしまうのです。
「論文の審査」の世界ってどうなってるのだろうか?
というわけなので、今回はあまり大風呂敷を広げない範囲で、STAP細胞問題に関係があるかもしれない(けどあんまり関係が深くないかもしれない)話をしよう。具体的には、研究論文の「審査」について。
今回の騒動に対しては、「なんで杜撰な論文が『Nature』のような一流誌に載ってしまったのか?」「誰かちゃんとチェックしなかったのか?」という疑問を持っている方も多いようだったので、研究分野は違うとはいえ同じアカデミアである我々の分野、経済学界の事情を書いておくのも、無駄ではないかもしれない。
以前にも書いたけれど、学者の研究は、原則的には専門誌(ジャーナル)に掲載されて初めて業績として認められる。専門誌というと、たとえば自然科学の『Nature』とか『Science』とかが有名だろうが、経済学にも専門誌がある。
そして専門誌にもランキングみたいなものがあって、載ると「おおっすごい!」と思われるいわゆる一流誌から、ほとんど誰も読まないような(言葉は悪いけれども)三、四流誌までさまざまだ。
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