そこへ自民党および公明党から1人10万円の要求。これに乗って、かっこ悪くとも、評判がこれ以上落ちるのを食い止めようと、前代未聞の閣議決定後の変更に踏み切った。そして、これを利用して全国に緊急事態宣言という政策転換を正当化した。本来ならば7都道府県で十分なはずだったが、分かりやすく、そして世論が望んでいるようなら(なぜか東京の人々が他の地域の緊急事態宣言を強く支持し、鳥取など当事者は戸惑うばかりだが)、「やってしまえ」、となった。以上が私の推論である。
行動経済学的な議論の出番はここである。なぜ、人々は「全員に10万円」のほうが、「本当に困っている人たちに手厚く30万円」よりも良いと思うのか。これは財政支出よりも消費税減税が、人気があるのと同じで、有権者の数としては、困っていない人のほうが遥かに多いからである。
困っている人は本当に困っているので、そもそもSNSをやったり、テレビやネットで意見を表明したりする余裕も気力もないのである。だから、みんなにいきわたるものが支持されるし、政治的にも票数は圧倒的に稼げるのである。
そして、もう一つ重要なのは、コロナショックでカネに困っているのは働き手、仕事が減った働き手であり、消費者は言ってみれば何も困っていない。また、年金生活者にしても、収入は減っていないし、働き手は国民の半分、50%に過ぎないのに、半分を無駄に配る必要ない。ましてや金持ちにおいておや。
「制限つけずに全員に配れ」、と言っている人はカネを配るタイミング、スピード感にこだわっているが、カネを配るという景気刺激はどうなのか。いまは消費行動を抑圧されていて消費できなくて困っているのに、カネを配られても仕方がないから、無意味だし、急いで配っても景気対策にはならない。
人々の不安と欲望と政治の打算
「本当に困って飢え死にしそうな人に早く」、というが、「それなら10万円ではすぐに飢え死にしてしまうし足りない」といっても、「とにかくスピードが大事だ」という。
この理由は、カネに困っていないが、皆、不安にさいなまれているからである。コロナはこの先どうなるか分からない、不安だ。それを払拭したいのである。都知事も不安を払拭するために8000億円と言っている。
この不安とは「仕事が失われる不安」のような「具体的な不安」ではなく、「今後コロナが、社会がどうなるかわからない」、という「とらえどころのない、いたたまれない不安」である。こういうときに慰めるには、マスク2枚ではない。カネである。不安なときはカネをわたしておけば、何か困ったときにはこれを使いなさい、と渡すのがもっとも効果的である。
だから、政治活動としては、全員にただちに現金を配ることがもっとも効果的なのである。すぐ配ることが重要なのである。しばらくすれば不安は軽くなるだろう。そのときにカネが届いても、悪い気はしないが、感謝はしない。「もらってやるか」、というぐらいなものである。しかし、今、全員不安なときに、その状態でカネをもらえば、ありがたい。くれた人に感謝する。だから、いますぐ、全員に配るのである。
私はコロナよりも政治に、人間の欲望と感情に、うんざりだ(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。
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