田中将大とノムさん。最強の師弟ストーリー TBSプロデューサーが見た、2人の天才

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横山は、番組の演出、またはプロデューサーとして、高校時代から田中の企画を放送しているうちに、いつしか杯を酌み交わす間柄になった。入社以来、スポーツの現場に身を置き続ける横山だが、田中ほど近い距離になった選手は珍しい。ふたりがプロ野球選手とテレビ局のディレクター、そして友人同士として深い関係を築いた背景には、ともに強い影響を受ける名将の存在がある。

神奈川の名門・慶応義塾高校時代に甲子園出場を目指した横山は、慶応大学に進学後、慶応高校野球部の学生コーチとして4年間を捧げたほどの野球狂だ。「スポーツの仕事をしたい」と強く願い、1999年、TBSに入社した。

ADからキャリアをスタートさせた横山は入社4年後の2003年、あるニュースに目が止まった。2年前に阪神の監督を辞任した野村克也が、社会人野球のシダックスを率いるというのだ。

「僕もキャッチャーをやっていたので、野村さんが好きでした。あれだけプロの世界で実績のある人が、社会人のボロボロのグラウンドで練習しているのが、自分の琴線にすごく触れて。当時はディレクターだったので、自分で取材に行って、密着しました。たぶん、野村さんはプロの世界には戻らないのだろうなという雰囲気でしたね」

ピッチャーに大事なのは、コントロールだ

横山はアマチュア球界で奮闘する野村を追い続け、当時、担当していた番組「J-SPO」で特集を数回放映した。野村は弱小チームだったシダックスを強化し、2003年には社会人ナンバーワンを決める都市対抗野球で準優勝に導いた。

そんな折、2004年に球界再編騒動が勃発する。仙台に新球団の楽天が誕生し、1年目の05年は記録的な弱さで最下位に沈んだ。そして翌年、監督の座を任されたのが野村だった。

2006年、5年ぶりに球界復帰した野村は、横山にこんなメッセージを送っている。

「またプロ野球の監督をできることになったのは、陽が当たらない頃からずっと取材や特集をしてくれた横山のおかげだ。だから、世間が俺を忘れないでいてくれた」

横山はカメラを持ち、野村がいかに弱小球団を強くするのかに目を凝らした。そうして1シーズンを過ごした2006年秋、ドラフト会議で田中の1位入団が決まる。名将ははたして、金の卵をどうやって孵化させるのか。取材者として現場で過ごす毎日が、楽しくて仕方がなかった。

入団1年目の2007年に11勝を挙げて新人王に輝いた田中だが、翌年は9勝に終わった。その裏にあったのは、「球速を追い求めたい」という願望だ。田中がその旨を野村に伝えると、「まだ若いし、球速もアップするだろうからやってみろ」と背中を押された。

だが、このときの決断について、野村は後に横山の番組で「あれは失敗だった」と吐露している。当時、苦しむ教え子を見て、考え直した野村はこう諭した。

「やっぱり、スピードじゃない。ピッチャーにとって大事なのは、コントロールだ」

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