なぜヤンキーはディズニー好きなのか 精神科医・斎藤環×歴史学者・與那覇潤(2)
アメリカは「父親」か「母親」か
與那覇:知性をもっていると思う側は、しばしばヤンキーを「反知性主義」といって叩きがちですけど、反知性主義というのは単なるバカとは違うわけですね。
斎藤:それははっきりと違います。私がよく言ってるのは、ヤンキーの成功者は「地頭がいい」ということです。地頭がいいヤンキーがいちばん日本人では尊敬されると。そこで最近よく挙げるのが白洲次郎です。あのあたりの人がヒーロー像としてはいちばん印象的なんだろうなと思うわけですね。反知性というよりも「反教養主義」に近いかもしれません。
與那覇:反知性主義を単に「お前ら知性ないじゃん」と攻撃してもダメで、「彼らはなぜ、地頭がいいにもかかわらずインテリ的なものを嫌悪するのか」という部分を問わなければならないと。そこで斎藤さんがご著書で示された手がかりが、“ヤンキーはエクリチュール(書かれたもの)的でない”という指摘と、“つっぱったヤンキーは一見マッチョで父性的に見えても、じつは母性的なんだ”という議論の2点だったと思うんです。
斎藤:そうですね。ネオリベというのは基本的に、良くも悪くも父性的な考え方だと思いますが、ヤンキーの場合は「厳しい母性」なんですね。保護的なんですけど、スパルタ的でもあるということ。母性的だからこそ、気合いとかアゲアゲとか、身体性に依拠するんでしょう。彼らにとって真実を担保してくれるものは常に行動であり、行動を可能にしてくれる「夢見る身体」なんです。
與那覇:わかる気がします。父性的というのは、最後は自分から独立させて切り離すということですね。お前とはもう他人だから、一個人として自分の判断で生きていけと。
斎藤:そうです。切断的なものは父性ですね。それで、連続的、包摂的なものを母性と考えれば、厳しい母性がヤンキーだとなる。
與那覇:それは自分の頭で考えたいインテリにとっては、いちばん生きづらい……。
斎藤:生きづらい! そして、日本の大衆にとっては、いちばん心やすらぐということですね。