2013年ももう半年が過ぎました。何だか年を重ねるにつれて時の流れを早く感じるようになった気がします。「毎日が同じ生活だと記憶の中で圧縮されて一瞬としての印象しか残らないが、毎日が新鮮だと記憶の中で圧縮されずに残り、時の流れを長く感じる」――誰かが言っていてなるほどと思いました。
そう考えると、人生に不慣れな子供の時分は1年がとても長く、人生に要領が出てきた大人は1年があっという間というのもしっくりきます。わかったようで突っ込みどころもありそうな理屈ですが、長寿(を感じる)のためには毎日を新鮮に過ごそうというひとつの示唆も与えてくれもします。
ですが毎日を新鮮にと言うのは簡単でも、普段の日常の中でそのとおりに実現するのは容易ではありません。成長して一人前になっていくことは、いつか見た景色が増えるという経験値の蓄積でもあり、それは同時に新鮮さをどこか失っていくことも意味します。
それが仕事のリアリズムです。
「成長する」ことの私なりの意味
ところで「成長する」とはどういう事なのでしょうか。
ここで、「広辞苑によると」などと、定義づけから入るのはひとつの典型的なコラムの様式美ですが、私は「成長する」ことに一義的な定義はなじまないように思います。成長というのは人それぞれで存在するものです。もしかしたら定義しようがないものが成長、これもひとつの定義なのかもしれません。
ともあれ、言葉遊びに逃げずに私なりに成長の定義をひとつ挙げるとするならば、「昨日と違う自分であること」ではないかと思います。
仕事をしていると、このプロジェクトで自分に期待する役割は何かとか、自分の位置づけはどういうものなのかと、やたらに定義づけたがる人がいます(思い返せば私もそうでした)。もちろん気になるのはわかるのですが、私はそういう質問をされるといつも戸惑ってしまいます。いったいそれを聞いてどうするのかと問い返したくなります。
成長とは「昨日と違う自分」です。役割期待という形で言われた基準に自分を制約してしまうと永遠に成長できません。そしてまた、成長は気合と根性でどうにかなるものでもありません。
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