本人の知らない“本人”を描けるか
――「情熱大陸」の醍醐味は、いい意味で“その人の素”が出るところだと思います。たとえば、AKB48の前田敦子さんがカメラを嫌がるシーンを流したり、小説家の林真理子さんがうたた寝する素の顔となった瞬間を放送したり。“その人自身”を描いている気がします。
情熱大陸では、本人から「オレ、あんなんだったかな」「あのシーンは流してほしくなかった」という悶々とした感想を、放送直後にもらうことがあります。だけど、しばらくしてから、周りからのいい評判を聞くと、「あれも自分だったんだ」に変わるのです。それは、「本人が気がつかない自分」というのが、映像に出ているからだと思います。情熱大陸では、そうした自分の知らない自分が出てしまうような「人間味」にこだわっています。前田敦子さんだって嫌だったと思います。カメラを嫌がっている姿を映されるのは。だけど、当時の彼女の多忙さを描くには、あのシーンがよかったと思うのです。
また、今年の放送一発目はゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんだったのですが、「今年残れるんですか」「紅白歌合戦も2年連続で同じ曲ですが、いいんですか」という本人がよく思わないであろうことも、あえて聞きました。これは僕のほうから聞いてくるように取材しているディレクターにお願いしたのです。それを聞かないと、ファン以外の多くの人は冷めるから。ただ、鬼龍院さんがすごいなと思うのは、その質問に対してきちんと答えました。そして、番組の最後に今年の抱負を書くシーンがあるのですが、彼は「目の前のことを精一杯頑張る」と書いたのです。
テレビの世界では自分たちはどうなっているかわからないけど、自分たちのことをしっかりやっていきますと。その姿を見て「あ、鬼龍院さんはただのキワモノではないんだな。イロものエアバンドじゃないな」と僕自身も思えましたし、番組を見ていた人も思った瞬間だったのではないか――と。ただ、「すごい」「すばらしい」と持ち上げるのではなく、ここまでしないとダメだと思うんですね。
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