佳木斯の看護婦さんたちは150人単位で収容されて結束していたし、同じ部隊の男性軍人に守られた希有なケースでした。属人的なレベルで部隊長、病院長、上官たちに女性を守るという人が多くいた。他の病院では、ソ連軍の「女を差し出せ」という要求に従った例も多かったようです。
──そもそもソ連はなぜ女性たちを抑留したのか。労働力にならないうえに食糧だけは余分に要る。収容所にとっては非効率そのもの。
ロシアの日本人抑留問題研究第一人者の話では、どうも大した意図はなかったらしいと。単なる手違い。たまたま虜囚に女性が交じった程度、らしいです。それを聞いて、さもありなんと思いました。日露戦争の捕虜でも将校の奥方、その女中さんなんかが交ざっていたという資料があります。その雑さなら、女性が交ざっちゃったというのは全然ありうるなと。
事実の残酷や極端さより重要なこと
──彼女たちの場合、抑留期間は1〜2年と比較的短く、軍人たちに守られ民間女性に比べれば環境はマシだった。それでもやはり、記録に残さねばと思われたのは、どんな思いからですか。
歴史の本に書かれてることは、どうしても政治家や外交官、学者の記述で事実関係が主になるんですけど、同じ時代を生きた当事者の話を聞くと全然違うドラマがある。事実の残酷さや極端さより私に重要なのは、その場にいた人が何に葛藤したか、良心に従ってどんな行動に出たか、あるいは見ぬふりをしたことに苦しんでいたりすること。今生きてる自分たちと同じ人間なんだと感じて、とても揺さぶられるんです。
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