シベリアに「抑留」されていた女たちの生き様 延べ数百人のインタビューをもとにした記録

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佳木斯の看護婦さんたちは150人単位で収容されて結束していたし、同じ部隊の男性軍人に守られた希有なケースでした。属人的なレベルで部隊長、病院長、上官たちに女性を守るという人が多くいた。他の病院では、ソ連軍の「女を差し出せ」という要求に従った例も多かったようです。

──そもそもソ連はなぜ女性たちを抑留したのか。労働力にならないうえに食糧だけは余分に要る。収容所にとっては非効率そのもの。

ロシアの日本人抑留問題研究第一人者の話では、どうも大した意図はなかったらしいと。単なる手違い。たまたま虜囚に女性が交じった程度、らしいです。それを聞いて、さもありなんと思いました。日露戦争の捕虜でも将校の奥方、その女中さんなんかが交ざっていたという資料があります。その雑さなら、女性が交ざっちゃったというのは全然ありうるなと。

事実の残酷や極端さより重要なこと

──彼女たちの場合、抑留期間は1〜2年と比較的短く、軍人たちに守られ民間女性に比べれば環境はマシだった。それでもやはり、記録に残さねばと思われたのは、どんな思いからですか。

小柳ちひろ(こやなぎちひろ)/1976年生まれ。同志社大学文学部卒業後、映像制作会社「テムジン」入社。2008年NHK「戦争証言プロジェクト」に参加、作品多数制作。本著は14年放送のBS1スペシャル「女たちのシベリア抑留」の取材記録。同番組は文化庁芸術祭賞優秀賞ほか数々受賞多数。(撮影:尾形文繁)

歴史の本に書かれてることは、どうしても政治家や外交官、学者の記述で事実関係が主になるんですけど、同じ時代を生きた当事者の話を聞くと全然違うドラマがある。事実の残酷さや極端さより私に重要なのは、その場にいた人が何に葛藤したか、良心に従ってどんな行動に出たか、あるいは見ぬふりをしたことに苦しんでいたりすること。今生きてる自分たちと同じ人間なんだと感じて、とても揺さぶられるんです。

──本の後半、抑留中みんなの先頭に立った日赤派遣組の看護婦さんの手記が胸に響きました。

彼女は帰国後真っ先に地元日赤病院へ行き、軍靴をカチッと合わせて挙手の礼をし「ただいま帰りました」と報告します。この言葉が言いたくて生きてきた、赤十字の従軍看護婦だからという思いをつねに抱えてきた。その後故郷へ戻る汽車の一隅で、「一人相撲だったような……そんな思いでひどく力が抜けた」とつづっています。りりしさを貫いた中で、ふっと素の人間の実感がこぼれ落ちた。

──最終章、唯一帰国を拒否した村上秋子さんの話は、重たい余韻を引きずりました。彼女が語ることのなかった余白の深さは、どれほどのものだったかと。

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