あだ討ちは「家の存続」のためだった
──絶妙な間合いで茶々を入れる玄蕃に、終始振り回される乙次郎。流人(るにん)と押送人なのに誰が見ても主人と家来。宿所選びでケンカし、酒を飲む飲まないでケンカし(笑)。乙次郎の妹などまるで現代のJK。途上出会う、親の敵探しに7年旅する武士は「今どきあだ討ち⁉ バカバカしい」と内心思ってる。登場人物それぞれの息づかいまで聞こえてきそうな描写が新鮮でした。
あの時代、あだ討ちの正体は親の遺恨を晴らす名目に事寄せた、家の存続だった。武士である限り俸禄は個人にではなく、家に支払われる。武士にとって家を守ることこそ一大事。家を継げない次男坊以下は、乙次郎のようにいい婿入り先に拾われるべく、必死で勉学や剣術に励む。あぶれようものなら冷や飯食いのまま野たれ死ぬ。
──道中、宿場宿場で抜き差しならない事情を抱えた人々と出会い、事件に巻き込まれ、というか、玄蕃たちのほうから首を突っ込んでいきます(笑)。その中に1つ、読後モヤモヤが残るエピソードがありました。玄蕃があだ討ちの見届け人を買って出る話で、意図せず罪を犯し投獄されたでっちの命を犠牲にし、結果的に武士2人を救う場面。実はヒューマニストであった玄蕃でも、少年の命より、武士にあだ討ちの愚を悟らせるほうを選んだということですか。
善人を装った強盗を店に導き入れ、結果的に主殺しに加担してしまったのは、知らなかったじゃ済まない大罪中の大罪。少年の命を救えないことを玄蕃は知っていた。でも、見捨てていいのかと彼は考えたんだね。そもそもあだ討ちと少年の処罰とは無関係。だけど、自分の死で他人を救うことを善行として少年の魂を往生させたい、と玄蕃は考えたんじゃないか。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら