56年前、日本中がアジア初の五輪開催に沸くとき、その熱狂に背を向け、雑誌『太陽』の駆け出し編集者が山形県庄内地方の黒川村(現鶴岡市)を訪ねた。そこで500年以上継承されてきた黒川能とその準備を行う村の暮らしを1年にわたり取材する。そして今、当時の記憶を1冊の本にまとめた。『黒川能 1964年、黒川村の記憶』を書いた文筆家の船曳由美氏に聞いた。
半世紀前の取材をなぜ今、本に
──能楽堂などで見る一般的なお能とは違いますね。
黒川能は、春日神社を鎮守とする村の暮らしに根差したお祭りです。旧正月の2月1日から2日にかけて行われる王祇(おうぎ)祭では、神社の御神体「王祇様」を上座と下座、2軒の「当屋(とうや)」へお迎えします。そこで夜を徹して能と狂言が演じられ、村人は能舞台を囲んでごちそうをいただく。こうして神と人がともに饗(きょう)することで、1年の恵みに感謝し、新年の五穀豊穣を祈念する。伝統芸能というより、共同体のための神事なのです。
──取材は半世紀前。なぜ今、本にしようと考えたのですか。
きっかけは、母の聞き書きを基に2010年に出版した『100年前の女の子』です。母は米寿を過ぎた頃、「わたしにはおっ母さんがいなかった」と自分の生い立ちを口にした。驚きました。と同時に母は、故郷である栃木県高松村(現足利市)の暮らしを生き生きと語り、それを私が“高松村物語”に紡ぎました。
この経験から、私も黒川村のことをいつか物語にしようと考えていたところ、2013年の夏、『太陽』の初代編集長、谷川健一さんが亡くなりました。谷川さんからはいつも「日本列島に息づいて暮らしている人間の実像に迫ることが、なによりも大事なんだよ」と言われていました。お通夜で、谷川さんの遺影に「黒川を書きなさい」といわれている気がしました。
──描写が写実的です。大きな炉で杉串を刺した豆腐をあぶるシーンの燃え盛る火の熱や、酒の香りまで伝わってくるようでした。
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