単なる取材ルポではなく物語を描きたいと思いました。目に焼き付け、耳の底に音を響かせ、匂いと味を覚えて、五感をフルに働かせ、第六感で神の気配を感じた、それを文章にしたのです。そして、その後も毎年のように黒川村を訪れたので、理解が深まり、記憶が熟成されていったのだと思います。
「能」というのは、あの世の人がこの世に出てきて、恨みつらみや生前の愛の記憶をよみがえらせる。本書も同様に村人の肉声をよみがえらせたかった。村人の言葉はカギ括弧を使わず“──”の後に続けました。その場、その時だけではない、100年前にも交わされていたかもしれない会話を表現したいという意図があったからです。
もちろん、祭りの詳細、例えばごちそうのゴボウは何貫、大豆は何俵用意といった具体的なことは村に問い合わせ、当時の記録を確認し、また1から教わりました。ある人からは「電話が100回もかかってきた」とあきれられました。世代交代をしていても、どなたも丁寧に対応してくれて、うれしいことでした。
初の五輪控えたお祭り騒ぎに違和感
──平凡社に入社して3年目、初めて任された大特集で、なぜ黒川能をとり上げたのですか。
1964年の東京は、初の五輪を控えて朝から晩までお祭り騒ぎ。私は違和感を覚えました。日本にオリンポスの神々はいない。五輪とは何のため、誰のための祭典なのか。安保闘争を忘れさせ、建設業者が潤うだけではないのか。
日本のどこかに、人々の信仰に深く根付き、老いも若きも一堂に会して楽しむ祭りはないものか。探しあぐねていたとき、編集部の先輩から渡されたのが、山形の詩人、真壁仁の詩集『青猪(あおしし)の歌』。黒川村で2月に行われる王祇祭を謳(うた)った一篇に心打たれました。
しろき面(おもて)の翁(おきな) 粛々と舞ひぬ
くろき面の翁 嬉々と舞ひぬ
敬慕と感謝とかれにあり
喜悦と祝福とこれにあふる
こんな祭りを探していた。でも、当時の黒川村は大のマスコミ嫌い。真壁先生に紹介状をいただき、それを握り締めて村に向かいました。
──ご神体を迎える「当屋頭人(とうにん)」を村の最長老が務めます。
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