化学の知識を武器に麻薬を製造・販売
かつては将来を嘱望された優秀な科学者でパートナーだった親友は、会社を成功させてセレブとなっているのに比べて、今の自分は死ぬか生きるかの瀬戸際で治療費(驚くほど高額!)の支払いさえメドが立たない。まさに人生、崖っ縁。残される家族の行く末を案じ、死ぬに死ねないと現状を受け入れることを拒否する中年男性の気持ちは、多くの人にとって察するに余りあるだろう。
そんなウォルターが、唯一、人に誇れるものが化学の知識。だからといって、ドラッグ(代表的な覚醒剤「メタンフェタミン」、通称「メス」または「クリスタル・メス」)の密造に手を染めるとは大胆極まりないが、この設定は、アメリカの麻薬との戦争が成功を収めていないことへの皮肉でもある。
ドラッグ密造と販売をエンタメにすることに抵抗を感じる人もいるかもしれないが、本作はきっちりとドラッグの恐ろしさを描き切っているので、心配ご無用。強いて言うなら、化学の知識にウォルターたちは命を救われることも少なくないので、「高校時代の勉強って大事」とは思うかもしれない。
死を前にして、生気みなぎる魅力的な人物に変貌
タイトルの『Breaking Bad』は、「規則や法を破る、道を踏み外す」といった意味のスラング(俗語) だという。まじめでうだつの上がらないウォルターが、いかにしてドラッグ界の帝王になっていくかの過程は、まさにタイトルが示すとおりだ。冴えないおっさんから、悲劇の“怪物”へと変貌を遂げていくウォルターを演じるブライアン・クランストンは、アメリカのテレビ史上に名を残す屈指の熱演を披露しており、筆者は思い出すだけでも鳥肌が立つ。
このドラマはアイロニーに満ちているが、ウォルターが死を覚悟し、これまで無縁だった犯罪に手を染めてから、ある種の生気がみなぎる魅力的な人物となっていくというのも、また皮肉である。
長男が店で新しいジーンズを四苦八苦して試着しているところに、頭の悪そうな白人の若者たちが遠巻きにしてバカにする場面がある。ウォルターはいつものように目をそらし沈黙するが、たまりかねた妻のスカイラーは、彼らにつかつかと歩みよる。その瞬間、いつのまにか姿が消えていたウォルターが正面入口から現れ、リーダー格の大男の足を蹴り飛ばし、踏んづけて「どうした、歩けないのか」と怒りを爆発させる。しょぼくれた中年男の異様な気迫に押されて、悪態をつきながら退散する若者たち。その様子を驚きと賞賛の目で見つめる妻子と同じく、視聴者は心の中で「とーちゃん、カッコイイ!」と喝采を送るのである。
随所に登場する、この「とーちゃん、カッコイイ」のカタルシスは、実に痛快だ。何しろ、普通の人は思っても絶対にできないことを、ウォルターが代わりにやってくれるのだから。マンネリ化していたスカイラーとの性生活にも積極的かつ貪欲になり、ワイルドに刺激を求めるあたりはご愛嬌。だが、ふふっと渇いた笑いを誘った次の瞬間、ピシリと現実の厳しさを見せつけるのが本作である。
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