教職課程はクビ、インテルも退職、のち起業 業種のボーダーを越え続けた彼女が、「無駄な経験」をしない理由

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――ジェンガはなぜ、世界で2番目に売れているゲームなのか!?
ジェンガが初めて発売されてから30年、このゲームは売れに売れ、今や世界で2番目に売れているゲームにまでなった(発売26年で販売実績5000万個を超えている!)。
そして驚くべきことに、ジェンガというゲームを「生み出した人」と、ジェンガという製品を「世界に展開する道を開いた人」は、同一人物である。
ゲーム・デザイナー、起業家という肩書きに加え2013年12月に日本語版が刊行された『JENGA――世界で2番目に売れているゲームの果てなき挑戦』で作家としてのデビューまで果たした英国人女性、レスリー・スコット……どんな完全無欠のバリキャリスーパーウーマンが現れるかと思いきや、彼女はどこにでもいそうな「普通」の人だ。
1983年のロンドンでジェンガが新製品としての産声を上げるまでの「開発秘話」。そして血で血を洗う弱肉強食のおもちゃ市場をジェンガが生き残り、この世界で「2番目に売れているゲーム」となるまでの驚異の過程。

本連載では、そんなジェンガと生みの親レスリー・スコットの知られざる物語に迫っていく。

 

 

アフリカ生まれの英国娘。性格は、破天荒

世界で2番目に売れているゲームを作った女性ゲームデザイナーにして、起業家。なんて聞けば、雲の上の人、とてもまねできないような能力に恵まれた超人……を思い浮かべてしまうのも当然だ。

しかし、ジェンガの考案者、レスリー・スコットがイメージどおりのバリキャリスーパーウーマンかというと、実はそうではない。もちろんすごい人物であることには違いないのだけれど、昨今話題になるような女性リーダーとは進む方向があまりに異なるのだ。破天荒という言葉が彼女にはとても似合う。

今回はレスリー・スコットがジェンガの開発者になる以前、起業家となる以前のキャリアを紹介していきたい。

これが、ジェンガの原型となったおもちゃで、レスリーの家族らは「タコラディ・ブリック」と呼んでいた

1955年、アフリカのタンガニーカ(現在のタンザニア)、ダルエスサラームにて、レスリー・スコットは、英国人家族――父母の代でアフリカに移住した――の一員として生まれた。

キリンやシマウマやゾウが気ままに闊歩するアフリカでのびのびと育ち、しかし13歳になると、海外に住む英国人家庭の子供の多くがそうであったように、イギリスの寄宿学校に送られる(とはいえ、学期が終わると休暇はアフリカで)。

アフリカと英国、ふたつの故郷を持つレスリーが、ジェンガの原型で遊んでいたのはアフリカでのことだったが、その由来については前回(「これがコーラとジェンガの明暗を分けた!」)触れた話でもあるので今回はおいておこう。

次ページこの進路なら、私の成績でも何とかなる…!
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