この進路なら、私の成績でも何とかなる!
さて、高校時代、彼女は常々、「大学で工学を学び橋を架ける人になる」と言っていた。
……のだが、いかんせん学業成績がそれには及ばなかった。現実主義者をもって任ずるレスリーは、高校最後の学年の終わりに、自分があまりに遊びすぎあまりに勉強しなさすぎたために試験に失敗しそうで、このままでは友人たちとともにオックスフォード大学に進むことはかなわないのだ、という過酷な現実に直面する。
そして、自分自身に言い聞かせたそうだ。
「私にいちばんふさわしいのは教職だ」と。
唯一、絶対になりたくないと思う職業が教職であったにもかかわらず、である。しかし彼女は、これなら自分の成績でもなんとかなりそうであると発見していたので、決断に迷いはない。
レスリー・スコットは教員になるべくオックスフォード大学のカレッジに進む。そして、教育理論を学ぶコレッジでの教員養成課程の最初の2学期間を彼女は謳歌したという。
スイスの発達心理学者ジャン・ピアジェについて学び、自身が教授法の対象としていた7歳から11歳くらいの年齢層は、「具体的操作段階」に入っていくということを習った。
この段階で、子どもたちは論理的に物事を考えるようになり、原因と結果という概念を習得するとされる(レンガを引っ張るとそれを積み上げてできたタワーが崩壊する原因になる、というような)。
理論を実際の英国の小学校で本物の子どもに当てはめてみても、子どもたちが何事かを論理的に考え始めている兆候を見いだせたことはなかったそうだが、子どもたちが、因果関係というものを先天的に認識しているということは、彼女にもはっきりわかった。
たとえば教室内を静かにさせようとするときに、お菓子で釣るという手段に出ると、とても有効だったのだ。
そんなレスリーのやり方を酷評して、指導教官は、こう勧めた。
子どもに何かを教えることはレスリーの「天職ではなさそうだ」から、その「独特な才能」を別のところで活かすことを考える方ほうが、お互いのためによいのではないか、と。
要は、教員養成課程をやんわりとクビになったのだ。彼女は2学年目が始まる前にコレッジを退学した。
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