「日本の医薬業界は完全な男性社会でしたから、これでやっていけるだろうかという不安はありました。
私は外国人で女性。プレゼンや打ち合わせをするときも、真っ黒なスーツ姿の日本人男性がずらりと並ぶ前でお話をするのですが、同僚の男性を連れていくと、皆さんまず男性のほうと話を始めるんです。
でも彼に決定権はなく、決定権は私にありますから、しゃべるうちに私のほうを向く。はじめは私をアシスタントだと思って話もしなかった男性部長さんなどが『よくそんなに知識がありますね』と驚くのです」
中国人、そして女性。日本的な商習慣にならって名刺を出してあいさつすると「私がボスであると知ったときに皆さんが浮かべる、がっかりした表情にも慣れましたよ(笑)。でも仕事の話になると、皆さんの顔が変わります」。
女性が「競争」に参加しない日本
権は中国東北部出身。父は税理士、母は県の管理職の家庭に生まれ、4人兄妹の末娘としてのびのびと自由な環境で育った。当時の中国は、大学の合格率は数%という大学進学が超難関の時代であったが、大学進学を目指し、志望大学に合格する。父と同じ税務か医療系に進もうと漠然と考えていた中で、自分の適性や性格に合った薬学の道に進むことを決めた。
当時の中国は経済改革の機運が高まっており、ビジネスを志す者は上海や香港を目指し、勉学や研究を目指す者も海外に目を向けていた。そんな中、権は「外の世界を見たい」「海外で勉強してみたい」という思いから留学を決意。
欧米よりも日本のほうが自分に合っていると考え、日本で留学先を探した。当時から経皮吸収に関心があり、経皮吸収を学べる大学を探していたところ、DDSの権威である教授がいる京都薬科大学のことを知った。
起業することになったのは、ひょんなきっかけだ。京都薬科大学で大学院を修了し、研究を続けていたときに、積水化学を退職した神山文男(現・コスメディ製薬代表取締役社長)が同じ研究室に入り、イギリスの製薬会社のコンサルタントを始めた。大学院を修了していた権は、ほかの学生よりも年長で英語も話せることから神山のサポートをすることになった。
それまでの大学内での研究と違い、コンサルタントの仕事は、企業からの具体的な課題を受けて、それを解決することがミッション。さまざまな課題が持ち込まれるが、それぞれの解決法を考えるのは楽しかった。
アメリカの大学へ留学が決まっていたが、それまでに半年の待期期間があり、改めてイギリスの製薬会社へのコンサルティングで経験したビジネスの面白さに気づき、留学を中止。神山とともにコンサルタントとして起業することに決めた。以来、主に機械・工学分野を担当する神山と、薬学・DDS分野を担当する権の二人三脚で会社を成長させてきた。
そんな権から見ると、日本には「見えない壁」があるという。
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