その頃はまだ、抗議デモが開催されるエリアや日時はあらかじめ公表されていた。次に元朗で大規模デモが開催されたのは、7月27日土曜日のこと。折悪しくこの日は、美沙さんの父と母が日本から香港に遊びに来る日でもあった。
当日、夕方4時頃には元朗のメイン通りが封鎖されてしまう。空港から自宅に向かっていた一家を乗せたタクシーは、高速道路を降りたところで警察の通行止めに出くわし、立ち往生することになった。
「タクシー運転手に『自宅はすぐ近くだから行ってくれ』と言いましたが、『デンジャラス』といわれて、テコでも動いてくれませんでした」(秀之さん)。
結局2人の娘と義父母を連れて、スーツケースを転がしながら、自宅まで徒歩30分以上歩く羽目になったという。ちなみに、香港の夏は湿度80%超、気温は35度を超えることもざらにある。
やっとの思いで自宅にたどりついた一家だったが、街のメイン通りはデモ隊と警察が衝突し、催涙弾やビーンバッグ弾が深夜まで飛び交った。以後も元朗では、毎月21日には、必ず7.21鉄道襲撃事件に抗議するデモが開催されるようになる。これは12月現在まで続いている。
元朗駅を突然列車が通過することも
デモ隊が駅やその周辺に集うため、駅は昼の2時や3時にクローズされてしまうことも珍しくない。駅直結の大規模ショッピングモールも同様だ。とくに全土でデモが激化した今年11月には、駅構内のガラスや自動改札が叩き壊されてしまうため、駅そのものが夜8時には閉まることもしばしば。周辺でデモ活動が行われている時間帯は、突然車内放送が流れ、元朗駅を含む数駅がノンストップになることも。当然、こうした時間帯はバスも同じくノンストップになるため、通勤もままならない。
早朝、深夜の乗務も多い美沙さんは、勤務先からタクシー通勤を許可されていた。しかし、九龍半島の佐敦(ジョーダン)まで通う秀之さんは、そうはいかない。
「とくに11月は、出勤できずに自宅作業をした日もありました」(秀之さん)。
秀之さんは出退勤の間に催涙弾にも巻き込まれたし、ペッパースプレーも浴びる羽目になった。
「1回目は10月の21日。夜の10時半くらいに会社から帰ってきて、元朗駅ではなく隣の朗屏(ロンピン)駅から外に出たんです。『あ、なにか空気が違うな』と思った瞬間、大通りの方向から僕のほうに、大勢の口をふさいだ人が向かってきて。『やばいかも』と思ったと同時に目や鼻が熱くなった。
慌てて自宅まで走りながら大通りのほうを見てみたら、ライトに照らされた道路が催涙弾の煙でもくもくしている。その煙の向こうに見えた警察署の中からちょうど20~30人の武装警官が大通りに飛び出していくところでした」
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