香港デモ激戦区「元朗」に住む日本人一家のいま それでも彼らが「日本」に帰らずとどまるワケ

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鉄道駅から徒歩5分ほど歩くと、生鮮食品や花、雑貨を売る地元の市場に到着する。広東語と北京語が飛び交う市場では、英語はほぼ通じない。

市場はいつも混雑している(筆者撮影)

つねに人々で込み合っている様子は東京・中野駅周辺を彷彿とさせる気がしているが、ある住宅ジャーナリストは駅前のタワーマンション群を見て、豊洲エリアに例えていた。その下町風情から江戸川区や板橋区に雰囲気が近い、という人もいる。

新しく建てられた大規模マンションなどには、一部富裕層も暮らしているが、昔ながらの村屋が立ち並ぶエリアは代々その土地に住んでいる人たちが多い。もちろん、中国大陸から移住してきた人たちも少なくない。

元朗を変えた7.21襲撃事件

そんな元朗が香港全土の注目を集めたのは2019年7月21日のこと。夜10時半ごろから深夜にかけて起こった、鉄道の襲撃事件が香港警察への不信感をいっそう高める契機となった。この日は日曜日。列車が元朗駅に到着した途端、手に棒などを持った白Tシャツの男たちが乗り込み、乗客に殴りかかった。

元朗駅直結の大型ショッピングモールとマンション群(筆者撮影)

日中に香港島で開催されていた、デモ帰りの人々(黒い服を着ている)を狙ったという説もあるが、SNSで拡散されている動画を見る限りは無差別攻撃のように見える。

襲われた人々は携帯電話で警察に通報したが、ようやく警官隊が現場に到着したのは、通報から1時間近く経過したであろう11時半間近だった。

乗客を襲った白Tシャツ集団は、三合会と呼ばれる地元のマフィア集団だと言われているが、香港の人々の怒りは同時に香港警察に向かった。通報が相次いでいるのに、なぜすぐに駆け付けなかったのか。反送中(のちに民主化)デモに反対する勢力と、香港警察が結託しているのではないか。これを機に、香港の人々は警察への不信感を強めていくことになる。

まだ明るいうちに店舗のシャッターが下りた7月22日の元朗の街(上)/7月22日午後6時頃、元朗の警察署前に抗議のために集まる人々(下)(写真:西城秀之さん提供)

事件の翌22日には、元朗の街は厳戒態勢に。

「出勤はしましたが、夕方4時くらいに、総務の人に『今日の元朗は危ないから、早く帰れ』と言われました」(秀之さん)。

夕方6時ごろに自宅近辺に到着すると、セブンイレブン以外の店舗はすべてシャッターが下ろされ、さながらゴーストタウンのよう。警察署付近は、前日の襲撃事件に対する、警察の対応を非難する人々であふれていたという。

「香港人日程表」という抗議デモの日程表でも、次の7月27日元朗デモは赤く記載されるようになった。

こうした情報は、鉄道やバス、空港エクスプレスといった交通機関や、デモの拠点になりやすい大規模ショッピングモールも当然把握している。デモが予定されているエリアの駅やショッピングモールが早めにクローズしてしまうのは日常茶飯事だ。開店すら見合わせることもあるので、地域経済への打撃は大きい。

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