愛情の裏づけがない厳しさは虐待
私の知人に斉藤さん(仮名)という、父親としてとても厳しい人がいます。4人の子供がいますが、長男が高校2年まで育児は妻任せにして仕事に没頭し、ほとんど工場がある他府県で暮らしていました。
斉藤家の4人兄妹は皆快活で、母子5人で金銭的にも贅沢に、何不自由なく楽しく暮らしていたのですが、事業で大成功を収め、普通の家庭生活に戻れるようになった斉藤さんが、家族の元に帰ってきました。彼の目には、長男(悟君/仮名)が想像以上に軟弱であると映ります。人間としての器が小さいのが気に入りません。
悟君は、本当は軟弱な子ではありません。ガキ大将で子分も多く、自分は将来、大社長が約束されていると公言して憚からず、反感を買うことも多かったほど存在感のある子でした。よく笑いよくしゃべる子でした。
悟君にとって父親は憧れの人で、大社長の席を用意してくれている人ですから、頭が上がりません。しかも高校2年生まではお客さんのように、帰宅してもすぐに去る人でしたから、甘えた記憶も反抗した記憶もなく、接し方が判らない存在です。
躾けるほうにも、器の大きさが必要
斉藤さんは莫大な財産を継がせる悟君の帝王教育にかかりました。「競馬でも先頭馬がこけたらレースにならない」というのが口癖で、長男だけをしごきます。平和ボケしている悟君は、急に政治や経済の質問をされても答えられません。
答えられないといっては「何を考えて生きていたのだ!」、ピントが外れているといっては「バカスギル!」、いたたまれず父親の機嫌をとるような言葉を発すると「救いようがないアホ!ほんまにオレの息子か!」と激しい性格の感情むきだしに、息子が何を話しても激高するばかり。
斉藤夫人や私たちが、そんなに急がなくとも、もっとゆっくり優しく教えるようにと助言しお願いしても、「父親が息子を厳しく躾けているのに口出しするな!」の一点張り。結果的にみても、その激しさは躾や教育ではなく、愛情もはき違うと、虐待にすぎないという見本でした。
悟君はみるみる青ざめた顔色になって寡黙になり、父親の前では「とんちんかんな」(斉藤さんによれば)言葉しか出ない萎縮した子になってしまったのです。器を大きくしようとして器を壊したような結果になってしまいました。躾ける側の力量が、とても重要であることを示す例です。
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