人の話を鵜呑みにする人は意図がわかってない 情報はそれだけ不確かで本当や真実などない
伝える人が異なる以上は品質もバラバラであり、そこには本人の個性が無意識のうちに埋め込まれてしまうということである。だとすれば情報にその人のキャラクターが反映され、思い込みや偏りなどのバイアスが差し込まれてしまうことも十分にありうる。
いわば情報とは、それほど不確かなものなのだ。だとすれば、そこにおいて「本当」や「真実」という定義はあまり意味がないということになる。
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つまりはこういうことになるのだが、もう1つ、重要なポイントがあることを忘れてはならない。これらが例外なく、すべての情報に当てはまるということだ。
マスメディアはどうか?
上記のことは個人に限った話ではなく、新聞・テレビなどのマスメディアについても同じことが言えるということである。
そんなことはありえないと思うだろうか? だがマスメディアも、それを構成しているのは個人にほかならない。いってみればマスメディアはそれら個人の集合体であり、情報の本質に例外はないのだ。
ニュース報道であったとしても、そこには情報を発信する目的があり、その情報に「思い込み」や「何らかの意図」が紛れ込むことになる。それは避けられないことなのだ。
なお、このことについて小木曽氏は、右翼的・左翼的だとか、権力寄り・反体制だとかいう話をしたいのではなく、「陰謀論」的な話でもないと主張している。そんなことよりも、もっと本質的なことを伝えたいというのだ。そしてそのために、ニュースの事例を挙げている。
このように政治的・思想的ではない、右も左もない情報にさえ、その情報を発信する「動機・目的・メリット」があるということ、それを伝えたいと小木曽氏はいうのだ。
例えば死亡者数が減ったというニュースを伝えれば、交通安全に対する世の中の機運がさらに高まり、それがさらなる死亡者数の減少につながるかもしれない。交通事故の軽減に尽力してきた警察関係者も、モチベーションが向上するかもしれない。
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