「死にたい場所を選べない」日本人の悲しい最期 最期まで望みを持って生きられる社会へ
井手:患者さんだって、「自分の死」を選びたいはず。でもそれに抗えば、結果は自己責任という話になってしまいますよね。
佐々木:そうですね。ただ最近は、患者さんの側から、自分たちが受けたいのはそういう医療じゃないと、声が上がるようになってきています。医師の側からも、実は自分たちもやりたくないと意思表示をするようになってきた。こうした話し合いの中で、望まれない医療は徐々に減ってきています。
患者さんの命の終わりが近づいてきて、医療によってもその状況を変えられないなら、われわれがやるべきことは、無理に命を延ばすことでも縮めることでもなく、その人がもっている本来の時間を、できるだけいい形で過ごしていただくことだと思うんです。私の仕事は在宅医療ですが、そこで重要なのは、最後までその人が望む生活が続けられるようにお手伝いすることなんですね。
井手:一人ひとりのニーズに応えられるように努力するということですね。
佐々木:はい。誰しも最後まで自分の望みに近づく権利があるはずですし、それをサポートする体制が整っていれば、人間は最後まで望みを持って生きられると思うんです。たとえ、もうじき死ぬという状況を受け入れたとしても、今日よりいい明日があるかもしれないと思えれば、希望を失うことはない。
例えば医学的な事実として、あと3カ月しか生きられそうにない人がいたとして、その時間を悲嘆にくれて過ごすのか、よりよい生活を目指して生き抜こうとするのか。われわれは、その3カ月をご本人が生き切ることができるよう、お手伝いすることはできるんですね。
残された時間を患者さんと一緒に考えることが大切
井手:在宅医療の現場で、患者さんとの信頼関係が築けていれば、患者さんのほうから、自分はどうしたいかが言えるようになるし、医療チームの皆さんも、その希望に寄り添うことができるようになりますね。
佐々木:医学的にみて、あまり長くは生きられないような患者さんのご家族はたいてい、何かしてあげたいと思っているんですね。それで、老人ホームに入れたほうがいいんじゃないかとか、病院に入院させたほうがいいんじゃないかとか、悩み続けている。
こういうケースでわれわれが心がけているのは、残された時間をどのような形で過ごすのが幸せなのか、患者さんと一緒に考えてみましょうということなんです。
それによって、われわれのことを信頼してくれて、自分の願いがかなうかもしれないと感じてくれたら、本音を言ってくれる。その結果、家族のいるところで、私に向かって本音を口にすることで、初めて家族は本人の気持ちに気づくということが結構あります。