「死にたい場所を選べない」日本人の悲しい最期 最期まで望みを持って生きられる社会へ
井手 英策(以下、井手):佐々木さんは、在宅医療のための診療所を立ち上げられて、今年で13年目ですね。いまでは5000人ほどの患者さんを、24時間体制で見守っていらっしゃる。佐々木さんがお書きになられた文章をあれこれ拝読して、非常に共感するところがありました。
僕も、自分が生まれたところ、暮らした場所で最期を迎える自由が認められるべきだと思います。それなのに家族のほうで、病気や障害のある高齢者を家で支えられるのか不安になったり、お医者さんがそんな家族の思いを忖度して入院を勧めたりする。
そもそも、体が弱ってきた当人が、胸の中では家で最期を迎えたいと思っていても、家族には迷惑をかけられないからと遠慮が働くこともあると思うんですよね。佐々木さんは、そういう現実と向き合ってこられた。最期の時を迎えて、自分が死にたい場所で死ねないという今のこの状況を、どうすれば変えていけるとお考えでしょうか。
少しでも長生きさせる医療が続いている理由
佐々木 淳(以下、佐々木):実は病院で亡くなる方で、悲しい状態で死を迎えるケースは少なくありません。入院先で、あなたはこの病気だからお風呂には入れません、こういう状態だからご飯は食べられません、家にも帰れませんなどと言われて、本人としては、残された時間をこんなふうに過ごしたいと願っていても、それがかなえられることは、あまりない。
最期の時まで病院で医療を受けるというのは、自分の生活が医師に支配されるということでもあるんです。
井手:医療を施すことで、少しでも長生きさせる。それが第一なんですね。
佐々木:多くの医師は、患者さんを1分でも1秒でも長く生かそうとしますから、患者さんが自力ではもう動けなくなっても、点滴と酸素投与で生かされるということが起きます。
医師自身は、そんなことしたくはないと思っていても、治療を中止したら家族から訴えられるかもしれない。あるいは、点滴をすれば食事ができない患者さんも、もう少し長く生きられるかもしれない。そんなふうに治療が行われるということが結構長く続いてきました。