「死にたい場所を選べない」日本人の悲しい最期 最期まで望みを持って生きられる社会へ
佐々木:山を下るとき、草花が咲いているところを通ってもいいし、川沿いを下っていってもいい。いろんなルートがある中で、どの道を選ぶのかを一緒に考えながら最後にゴールするという、そのプロセスをみんなで共有することが大事なんです。それを阻むのが、患者化だと思うんですね。
井手:というと?
佐々木:具合が悪くなってくると、家族でも、医師からの指示がなければ何も手を出してはいけない、と思ってしまう。これが患者化です。
でも、医師がいくら頑張ってもできることには限界がありますし、どんなに治療しても残された時間はそう変わらないというタイミングは必ずやってきます。だったら、治療よりも、患者さんがやりたいこと、大切にしていることを優先する。例えば、もう1度、食べたいものを食べてみるとか。といっても、お餅を食べて窒息死してしまってはいけません。そうならないよう、そっとお手伝いするのが、僕らの仕事だと思っています。
提供する側の医療と患者が期待する医療のギャップ
井手:死ぬまでの時間をどのように生きたいかは、一人ひとり違うわけですよね。そういう、それぞれの死生観に寄り添った医療や介護を行うことはとても大事だと思います。
だけど日本社会はそうなってませんよね。雑誌などでは、このまま医療費が増えていくと日本の財政は破綻するので、高齢者の延命治療はやめて対症療法に切り替えるべきだという議論をよく見かけます。
この手の話をする人にとって、お年寄りはコストでしかなく、一人ひとりの死生観は置き去りにされているんですよね。おそろしいことに、そういう議論を支持する人も少なくありません。こうした風潮について、どうお感じになりますか。
佐々木:そういう議論があることに私も懸念を感じています。
ただ、日本の場合、助かる病気であれば、公的医療保険でほとんどがカバーできます。人工透析にしても年齢に関係なくスタートできるし、高額な抗がん剤による治療もできるようになっています。その意味では、すごく寛容だと思うんですね。
ところが、ある調査によれば、病院の数も、病院のベッド数も、医療機器も、日本ではそれなりに充実しているのに、自分が受ける医療について患者さんはそれほど満足していません。公的医療保険の枠内で医療者が提供する医療と、患者さんが期待する医療との間にギャップがあるんです。
介護保険にしても、制度としては非常に充実していますが、介護保険サービスを利用している方たちがハッピーかというと、そうとは言い切れない。こんなふうに生かされていたくはないとか、早く死にたいとおっしゃる方が少なくありません。
私はやはり、医療の使命というのは、人を幸せにすることだと思うんですね。もちろん、公的な保険などで、セーフティーネットをしっかり作っておくことも重要です。