このため、ユウヤさんの半生について語ってもらうだけで、相当な時間がかかった。私も少し疲れたが、ユウヤさんはもっと疲れていたはずだ。根掘り葉掘り聞かれた揚げ句、「あなたの貧困は自己責任」などと言われては、普通はいい気持ちはしないだろう。しかし、ユウヤさんは、タオル地のハンカチで汗を拭いながら、恐縮至極といった様子でこう言うのだ。
「申し訳ありません。私の話じゃ、記事にならないですか? もしかして、お時間を無駄にしてしまったでしょうか」
ユウヤさんは東京郊外で生まれ育った。父親は大手電機メーカーに勤務、母親は専業主婦。経済的な理由で大学進学を諦めた父親は、会社では出世街道を歩み、定年退職を迎えたときの役職は「役員の一歩手前」だった。また、親戚には、伊藤忠商事や東京電力、松下(現在のパナソニック)といった有名企業の役員を務めた人もいるという。
“社会的成功者”に囲まれ、ユウヤさんは幼いころから「僕は大きくなったら、総理大臣になるんだ」と思ってきたし、周囲からもそのように言われてきたと、振り返る。
小学生のときは、書道やそろばん、ピアノなど習い事のない日はなかった。自室の本棚には世界文学全集が並び、当時は1台30万円はくだらなかったパソコンも与えられた。中学校の入学式では、新入生を代表して答辞を読み、全国模試の成績もトップクラスだったという。
“いい子ちゃん”と“万引常習犯”の2つの顔
絵に描いたような優等生にみえるが、一方で「幼稚園のころから万引の常習犯だった」と、ユウヤさんは打ち明ける。虫歯になるという理由でお菓子を食べさせてもらえなかったため、コンビニでチョコレートや駄菓子などを、かなりの頻度で盗んでいたという。店員に見つかり、親からひどく怒られたこともあったが、しばらく経つと、また繰り返した。
「親の前では、完璧ないい子ちゃんでいなければいけないと思っていました。『お菓子が欲しい』ということも言ってはいけないと思っていたんです。テストの成績が悪いと、注意をされるのですが、それほどひどく叱られたわけでもないのに、『もう死ぬしかない』と思い詰めるようなところがありました」。
“いい子ちゃん”を演じても、万引にはしったのでは、本末転倒である。万引は、小学校に入ってからは回数こそ減ったものの、中学生のときに父親から、「この商品を売って生活している人もいるんだ」と言われ、ユウヤさん自身が、万引はなぜ悪いことなのか、ということを理解するまで続いたという。
歪んだプレッシャーと、人格が引き裂かれてしまいそうな二面性――。それでも、なんとか保ってきたバランスが崩壊したのは、高校受験がきっかけだった。
成績優秀だったユウヤさんは国立大学の付属高校を希望し、教師からは都心にある私立の進学校を勧められたのだが、父親が「高校までは地元の公立校で十分だ」と言って譲らなかったのだという。
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