親が悪いと主張する45歳タクシー運転手の半生 500万の借金を肩代わりし、小遣いを渡す両親

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結局、ユウヤさんは父親に従い、地元の進学校に入学。しかし、授業は欠席しがちで、成績も急激に落ち込んだ。代わりに、はまったのはプラモデルの収集。毎日のように複数の店舗を回り、飛行機や船のプラモデルを買い集めた。その数およそ500箱。それらは、1箱も開封されることなく、今も自室に山積みになっているという。

「受験を頑張ろうと思っていた矢先に、腰を折られたという“怨念”がいつまでもくすぶっていました。プラモデルを作るのではなく、買うことで、鬱憤を晴らしていました。今、ネットで売ったら、かなりの価格になるものもあるみたいです」

「こんな私に誰がした」という思いが消えない

ユウヤさんは、両親からはずっと否定され続けてきた、と訴える。

大学受験に失敗した後に専門学校に進み、国家公務員のⅢ種採用試験(当時)に合格したときも、両親からかけられたのは、お祝いや労いの言葉ではなく、「なぜ、Ⅱ種じゃないんだ」という不満の言葉。アルバイトを掛け持ちしていたころ、葬式の席で会った親戚たちの前では、父親から「こいつみたいなちゃらんぽらんなやつは」と言われた。

「いつも、『もっと上を、もっと上を』と言われてきた気がします。谷底に落としたライオンの子どもに、さらに岩を投げつけてくるような人たち。国家公務員の仕事も、『そこで頑張れよ』とさえ言ってくれれば、辞めなかったと思います。だから両親に対しては、『こんな私に誰がした』という思いが消えないんですよね」

公務員を退職したのは、医学部受験のためだと、ユウヤさんは言った。その陰には、医者になれば、両親も認めてくれるのではないかという期待が、あったのかもしれない。

ただ、不思議なことに、ユウヤさんと両親の関係は決して険悪ではない。日産やホンダの自動車工場の期間工を雇い止めにされ、住んでいた寮を追い出されたときは、当たり前に実家に戻ったし、母親からは今も時々、数十万円単位で小遣いをもらうという。

ということは、ユウヤさんは親からもらった小遣いで、周囲にお金を貸しているというのだろうか。「派遣切りに遭って住むところがないという同僚や、急に失業して食費を切り詰めている友達から頼まれると断れないんです。お金を貸すことで、満足感を得ている自分もいます。うちは裕福だから、私を介して(その財産を)社会に還元していると思って、納得しています」とユウヤさん。

……。いや、普通は納得できないだろう。表向き穏やかに見えるが、ユウヤさんの親に対する“怨念”は、それだけ根深いということなのか。

さて、肝心の、ユウヤさんの貧困状態が、ユウヤさんのせいなのか、あるいは、そうではないのか、という問題についてである。あえて自己責任という物差しを持ち出すなら、今回はそう批判されても仕方のない面もあるのかもしれない。

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