ここは多くの日本人は自覚していないのですが、日本人は小学校の教育で集団行動を教え込まれます。朝礼で運動場に整列したり、体育の授業で行進したりといったアレです。それで朝礼が終わるといちばん生産性が高い方法で教室に戻るように指導されます。教室が遠い学年から順に行進しながら大人数が教室へ向かう。下駄箱で立ち止まって無駄話をしていると先生に「早く教室に戻れ」と怒鳴られる。
最近は少子高齢化で生産性など考えなくても教室に戻れる時代ですが、昭和のおじさんの時代は全校生徒が1500人ぐらいいたので、集団の生産性を教え込むことは本当に大切だったのです。
これは当時、工業立国をしようとしていた日本という国で、社会の生産性(外国人にわかりやすい言葉でいえばソーシャル・プロダクティビティーですね)を高めるための初等教育がなされていたということです。ですから私たちおじさんは無意識のうちに社会がうまく回るように行動をとる。
この伝統は若い世代にも組み込まれていて、渋谷のスクランブル交差点で何千人もの人混みが混乱もなく通過する様子は外国人にはミラクルに見えるそうです。少なくとも日本人は世界の中でも突出して「街を速く歩く民族」として知られています。
ところが新大久保駅を乗降するのはそういった日本人のソーシャル・プロダクティビティー文化とは無縁の人々です。駅の近隣では歩道を秩序だって進むことよりも、3人組なら3人が横に広がって、その日の会話を楽しみながら一緒にゆっくりと歩いたり、立ち止まって何かを指差すことのほうに関心がある。だから町全体でも混雑は解決しない。
「だったら、もう新大久保駅の混雑は解決しないほうがいいのでは?」
というのも1つの見識です。楽しんでいる訪日外国人に「日本では早く歩け」と怒りの指導をするというのも無粋ではないですか。
ただ新大久保の街中ならともかく、駅について言えば過剰な混雑は解決すべき問題です。生産性の話だけではなく、将棋倒しなど将来的な事故のリスクも考えざるをえません。だとしたら駅の構内と周辺だけでも啓蒙活動を含めた対策は必要かもしれません。
具体的に解決するには…?
三層構造の問題を理屈で解決するとした場合の具体的な解決策をイメージしてみましょう。
まずは物理的な障害になる駅前での待ち合わせ文化にメスを入れる必要があります。駅の外側で「駅の改札の外で友人と待ち合わせるのはやめましょう」といったアナウンスを4カ国語で行うのがいいでしょう。
アナウンスするだけでなく、それに加えて待ち合わせ場所としてのランドマークを外に分散させる策も有効でしょう。韓流のショッピングモールやドン・キホーテに手を挙げてもらうというのが具体的なイメージです。どうせみんなLINEで適当に居場所を知らせあって集合するわけですし、それぞれの場所で待ち合わせる習慣が広まればお店の側もむしろうれしいはずです。
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