1つは、同じ「牧師の子」という立場の人たちと、もっと小さいときに会えていたらよかった、ということ。彼女は大学に入ってから、ようやく同じ「牧師の子」――PK(Pastor’s Kidsの略)と呼ばれるそう――と知り合うことができたのですが、話してみると、共通する体験や思いがたくさんあることがわかったからです。
例えば、日曜日の朝は毎週礼拝のため、ほかの子たちがみんな見ているアニメ番組を見られなくて悔しかったこと。父親(牧師)が説教のとき、自分たち娘や息子の話を引き合いに出すのが嫌だったこと。「牧師の子」という周囲の目にプレッシャーを感じていたこと。一時期はキリスト教が嫌いだったこと、等々ほかにもたくさんあります。
もし子どもの頃に仲間と会えていたら、「こんなふうに感じるのは、私だけじゃないんだな」とわかって、気持ちがラクになっていたかもしれない、と感じるそう。
「いろんな子がいるよね」で済めばよかった
もう1つは、「もっと周囲の理解があったらよかった」ということです。子どもの頃はずっと、自分の親が牧師であることを嫌だと感じていましたが、今思うと別に、ひかりさんの家族や信仰が間違っていたわけではありませんでした。
「『いろんな子がいるよね』で済めば、よかったんです。なのに『あいつ、俺たちと違うよな』とか『あの子、私たちと違うよね』みたいなことが、たくさんあったから。そういうのが嫌だったんだなって、今は思います」
取材をそろそろ終えようかという頃、ひかりさんはふと、こんな思い出話をしてくれました。
「あんなにキリスト教を嫌だと思っていたのに、人からバカにされるのもめっちゃ嫌だったんです。小4のとき男の子から『神様なんかホントはいねえんだぞ』って言われてブチ切れて、大泣きしたことがあって。われながら不思議だったんですけれど、やっぱり自分や親が大事にしてきているものをバカにされるのは嫌だったんでしょうね。
それで私が言葉に詰まっていたら、近くにいた友だちが代弁してくれて。『こいつのうち、キリスト教なんだから、そういうこと言うなよ』って。ありがたかったです」
その友達は、妹やお母さんが教会に一時期来ていたことがあったため、彼女の家のことをちょっと知っていました。別にキリスト教を信じていたわけでもなく、それがどんなものかも知らなかったかもしれません。それでも、友達が大事にしているものをバカにされて傷ついていることに、その子は気がついたのです。
もし周囲の子どもや大人が、みんなそんな感覚をもてていたら。牧師の子だけでなく、あらゆる人が、今よりもうちょっと生きやすくなりそうな気がします。
本連載では、いろいろな環境で育った子どもの立場の方のお話をお待ちしております。詳細は個別に取材させていただきますので、こちらのフォームよりご連絡ください。
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