ほかの子たちから「豪邸に住んでいるお金持ちの子」と誤解されるのも恥ずかしかったといいます。一家の住まいは教会と一体化したつくりで、玄関も2つあったため、よく「おまえんち、でかいよな!」などと言われていたのです。
お金に困る状態ではなかったものの、「お金持ち」というわけではなかったので、ひかりさんはとても心地悪く感じていたといいます。褒められていい気分になってもよさそうですが、そういう人柄ではなかったのでしょう。周囲から「お嬢様」と思われるのも、「本当は木登りとかするほう」だったので、「違うのに」と感じていました。
周りの人たちから、キリスト教、あるいは宗教へのちょっとした偏見を感じることもありました。例えば、地域向けのイベントをやるときに友達に声をかけたところ、「うちの親が『勧誘されるんじゃないか』と心配している」と言われてしまったり。
歴史の時間に宣教師のことを習ったあとは、あだ名を「(フランシスコ)ザビエル」にされてしまったり。これはもちろん、今では笑い話ではあるのですが。
「そもそも日本のキリスト教徒って、1%くらいといわれているんです。宗教としてはよく知られているけれど、人数としてはものすごく少なくて」
え、それだけなの? と驚きましたが、確かに筆者の周囲でも、ぱっと思い出せる友人は数人程度です。2018年の宗教年鑑によると、キリスト教徒は約192万人。日本の総人口が約1.26億人(2019年9月)ですから、1.5%程度になります。
幼少時代、家や宗教のことに複雑な思いはあったものの、親にはあまり言えなかったそう。その後、中学、高校時代は、教会とはやや距離を置くようになり、大学を受験するときも「キリスト教系じゃないところ」をあえて選んだといいます。
教会員の人たちが家族のようなものだった
そんなひかりさんは、大人になって自らの意思で洗礼を受けます。いったいなぜだったのでしょう。
最も大きなきっかけは、両親の引っ越し、すなわち牧師である父親の「異動」でした。意外なことに牧師さんの世界には「異動」があるそうで、短いと5年ほど、長いと彼女の父親のように十数年程度で、受け持つ教会が変わるのです。
教会にはいつでも教会員(その教会に籍を置く信徒)さんたちが出入りしていたため、ひかりさんはずっと、この人々を家族のように思って暮らしてきました。学校から帰るといつも、おばちゃんたちが集まって「奉仕活動」をしており、彼女たちに裁縫やお菓子作りを教えてもらったり、おやつをつまみ食いをさせてもらったり。
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