北朝鮮の処刑・粛清説になぜ誤報が多いのか 南北間の貿易・往来の禁止措置で情報不足に

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実際、ハノイ会談を含めて対米交渉をリードしている李容浩(リ・ヨンホ)外相や崔善姫(チェ・ソニ)外務次官は、現在も対米交渉の担当として健在だ。北朝鮮において、対米交渉の軸足が朝鮮労働党から外務省に移ったという見方があるが、タフネゴシエーターとされる人材が北朝鮮内でたくさんいるわけではない。貴重なアメリカ通や実務経験が豊富な人材を、乱暴な手段で台無しにしてしまうことは現在の北朝鮮では考えにくい。

朝鮮日報のような報道は、韓国メディア、とくに北朝鮮を脱出してきた「脱北者」出身の記者などから出されることが少なくない。今回の記事を執筆したのも、脱北者出身の記者だった。

朝鮮半島情勢とメディア事情に詳しい桜美林大学リベラルアーツ学群の塚本壮一教授は「この記者は、韓国の文在寅政権が金正恩政権を必要以上に称賛しているといった内容の記事を書くなど、現政権の北朝鮮政策に批判的だった。また、朝鮮日報は論調が保守の立場であり、北朝鮮が尋常ならぬ様相に陥っているという内容の記事を歓迎しがちだ」と説明する。

もちろん北朝鮮出身であり、現地での情報源も多く持っているのだろう。この記者はそれなりに確信を持って記事にしたことは想像できる。ただ、「金正恩委員長が政権を担うようになって、北朝鮮は変化が速い。脱北した時期にもよるが、脱北者が生活していたときの北朝鮮と、今の北朝鮮(の状態)が完全に異なっているということもありうる」(韓国の北朝鮮研究者)。

北朝鮮の実情を身をもって触れにくくなった

かつて、処刑や労役刑で政治上の失敗の責任を問われることが多かったことは、これまで脱北者を中心とした多くの証言がある。一方で、現政権ではかつてよりそんな責任の取り方が減っているということも十分考えられる。とくに金正恩政権になって、北朝鮮を取り巻く国際環境が激変し、北朝鮮外交も大きく変化している。

そんな変化を踏まえると、同じ北朝鮮出身者でも現在の北朝鮮を見誤ることがありうるし、「自分たちのときはこうだった」といった先入観に基づく報道が誤報を招くことも十分にありうる。

また、「この10年間、韓国メディアをはじめ韓国国民が北朝鮮を訪問しにくくなったことも一因」(韓国大手紙記者)という指摘も説得力を持つ。2010年3月に「韓国哨戒艦沈没事件」が発生し、当時の李明博政権はこの事件は「北朝鮮による魚雷攻撃だ」と断定した。そして、対抗策として北朝鮮へ制裁を科した。その中には、南北間の貿易・往来の禁止といった措置も含まれ、現在もこの制裁は解除されていない。

これにより、「長期間、北朝鮮の変化や実情を身をもって触れることができなかったのは、北朝鮮を理解するという点で大きな損失」(同)だ。また、韓国国民が北朝鮮に触れるのは、現地取材も十分にできないままのメディア報道のみになったことも、北朝鮮に対する事実の検証力が弱まったとも言える。

とくに、李政権の前の金大中・盧武鉉両政権は「包容政策」という対北朝鮮融和政策を展開し、メディアや民間交流が盛んだっただけに、その反動は大きかったとも言えるだろう。

この「処刑・労役刑」記事は日本でも報道されたが、「日本メディアも、金委員長はハノイ会談の結果にさぞかし立腹しているので、担当者は厳しく責められているに違いないという想像を膨らませていた。自分たちも大した情報は持っていない中で、朝鮮日報の報道がそんな想像を立証するものだと思い込んだのではないか」と塚本教授は指摘する。

しかも「北朝鮮の場合は誤報でも責められることは少ないし、書き得になりがちだ」(塚本教授)という傾向もある。

メディア以外にも多くの人が訪朝し、実際の北朝鮮を見聞できれば、流れてくる情報の真偽を判断する相互検証が効き、正確さが増してくる。北朝鮮自らが開く門戸は確かに狭いが、それでも事実かどうかを判断できる材料を見つけようとすることはできる。

現地の実情を見ないまま、ステレオタイプな北朝鮮像を基に安直な内容の報道をしてはいけないし、それに接する側もそのまま鵜呑みにしてはいけない。北朝鮮報道には、シンプルなリテラシーがもっとも大事であることを改めて思い知らされた。

福田 恵介 東洋経済 解説部コラムニスト

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ふくだ けいすけ / Keisuke Fukuda

1968年長崎県生まれ。神戸市外国語大学外国語学部ロシア学科卒。毎日新聞記者を経て、1992年東洋経済新報社入社。1999年から1年間、韓国・延世大学留学。著書に『図解 金正日と北朝鮮問題』(東洋経済新報社)、訳書に『朝鮮半島のいちばん長い日』『サムスン電子』『サムスンCEO』『李健煕(イ・ゴンヒ)―サムスンの孤独な帝王』『アン・チョルス 経営の原則』(すべて、東洋経済新報社)など。

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