──1907年のハーグ密使事件から1987年の大韓航空機爆破事件まで、日本とかかわりの深い歴史を取り扱っています。
記者生活での体験や体験とゆかりのあるものを素材にした、体験的日韓関係史だ。
離れられない関係であることを日本人は知っておくべき
──韓国・北朝鮮の近現代史は、植民地支配が終わり南北分断後から今でも、日本とのかかわりの程度が強いままで変わらないように思えます。
この数年間、日本では嫌韓・反韓感情が強まり、「断絶してコリアと付き合うのはやめよ」といった国交断絶論をはじめ韓国を遠ざけようとする動きがある。それでも私が言いたいのは、朝鮮半島は日本にとって付き合わざるをえない国であり、同時に向こうからも押しかけてくる国で、離れられない関係であることを日本人は知っておくべきだということだ。
──本書には、李朝最後の皇太子だった李垠(イウン)殿下と結婚した皇族・李方子(まさこ)妃(梨本宮方子、1901~1989年)はじめ、有名無名を問わず多くの日本人が紹介されています。
日韓の歴史を刻んだ日本人を紹介したのは、日韓関係史で彼らが示した「日本人としての気概」を紹介したかったためだ。その代表例こそ李方子妃。彼女の人生は、激動の日韓史そのものだ。結婚自体が「お国のため」、すなわち政略結婚だったが、1989年に亡くなられると韓国は「最後の王朝葬礼」といわれるほどの手厚い葬儀を行った。
このとき、多くの市民が「ウリ(われわれの)王妃だから」と葬列を見送った。中でも、正装をした老婆が路上で「クンジョル」という、地に頭を垂れる最大の敬意を示す礼を尽くしながら見送ったシーンは忘れられない。李朝を崩壊させた日本人の皇族出身ながらも、政略結婚という運命を身に引き受け、戦後は地道な障害児教育・支援を行われた姿を韓国民はよく見ていたのだ。
――同じ王族で、広島の原爆で亡くなった日本陸軍中佐の李ウ殿下についても紹介されています。
原爆投下の8月6日、李ウ殿下付き武官だった吉成弘中佐は出勤の際、体調が悪く殿下に付き添えなかった。これに責任を感じた彼は、殿下の通夜の翌日に自決している。
殿下の未亡人・朴賛珠(パクチャンジュ)さんは吉成中佐について「武人のかがみ、亡き主人(殿下)の供をしていただいた。地下で主人は寂しくないだろう」との手紙を書き残している。こうして日本の名誉を守った日本人もいるのだ。
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