旧エルピーダメモリ、広島でどう生き残ったか 外資傘下で巨額投資、世界の最先端工場に
報道陣に公開されたクリーンルームには、最新型の半導体製造装置が整然と配置され、天井付近には半導体ウエハを運ぶ全自動の搬送装置が高速で移動していた。LEDで照らされた工場内は明るく、説明する技術者の表情もどこか誇らしげだった。
エルピーダの破綻後、伸び悩んでいた半導体メモリ市場は急拡大に転じた。その波に乗り、マイクロンは今や世界4位の半導体メーカーに躍り出た。半導体メモリは大きく分けてDRAMとフラッシュの2種類があるが、広島工場はマイクロンにとってDRAM生産の最重要拠点だ。
新棟の建設費などは非公開だが、これまで広島工場を中心とした日本の拠点に数千億円を投資。買収後の採用も800人に及ぶ。今後も日本での投資が続く予定で、今後数年間でさらに数千億円を投じ、新卒採用などで技術者を500人増員するとしている。
日本に残った技術者は「幸せに思っている」
「あっという間の7年だった。『必ず生き残る。再建するんだ』という強い意志で一丸となって努力してきた。日本におけるDRAM事業の継続、投資に対してマイクロンがコミットしてくれた。その決断に感謝している」
木下社長は会見で、エルピーダ破綻後の広島での事業をこのように振り返った。日立製作所、NEC、三菱電機のDRAM部門を統合したエルピーダは、2008年のリーマンショック後、資金繰りに苦しんだ。優秀な技術者がいても、先端技術への投資が満足にできない状態だった。
台湾企業との提携なども模索したが万策尽きた2012年2月、会社更生法の適用を申請。その1年半後の2013年7月にマイクロンの傘下に入る。一連の倒産劇は、かつて隆盛を誇った日本の半導体産業の敗北と受け止められた。
倒産から7年。他社に移った社員もいたが、マイクロンに残った技術者は「口には出さないが、幸せに思っていると思う」と木下氏はいう。エルピーダで培われた技術は、マイクロンによる買収後も広島工場のDRAM生産の主軸になっている。木下氏は、開発が続いている最先端技術も両社の技術者の協力の賜だと強調した。
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