「芸術で食う」街に変貌?池袋の大胆改革 借金23区ワースト1から、文化の街へ大改造

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いまいちパッとしなかった池袋が変貌している?(写真は、池袋の舞台芸術交流センター「あうるすぽっと」で行なわれた演劇の様子。撮影:宮川舞子)
山の手線内の一等地に立地する大都市ながら、新宿や渋谷ほどの活気やにぎわいがない――。なんとなく残念な印象のあった池袋が、近頃大きく変貌している。「週末がにぎやかになった」「若者も安心して立ち寄れるようになった」との声が、頻繁に聞かれるようになったのだ。
実際、週末には街中で、音楽祭や演劇などのイベントが頻繁に開催されている。街のイメージの変化とともに、住まいを池袋に移す若い世帯も着実に増えている。
こうした変化の背景には、池袋を擁する豊島区の「大胆改革」があった。改革を率いるのは、古書店の店主や、地元商店街の青年部長を務めた高野之夫区長。周囲の冷たい視線をよそに、1999年の就任時から文化事業に力を入れ、街を“変革”してきた。
なぜ、池袋に「文化による改革」が必要だったのか? 高野区長に聞いた。

「文化で飯は食えない」と袋だたき

――最近、池袋を訪れて驚きました。街全体に、なんというか明るい活気があります。イベントも多く開催されているようで、「大塚阿波おどり」に加え、4年前からの「フェスティバルトーキョー」(舞台芸術祭)や「おおつか音楽祭」(ライブ企画)、「ふくろ祭り」(踊りの祭典)も人気化しています。

「文化事業」の強化は高野区長の方針と思いますが、それにしてもなぜ、「文化」だったのでしょうか。

区長に就任した1999年当時、豊島区は財政難から閉塞感が漂っていました。なにしろ、土地開発公社の債務といった、いわゆる「隠れ借金」も含め、区の借金が872億円あったのです。これは区の一般会計と同じ規模で、区民1人当たりの借金は33万円。23区ではワーストだったと思います。

それをどう削減したかは後ほどお話しますが、とにかくそうしたことから当時、区の職員に元気がなかった。一言で表現すると、「やる気がない」。何かを打ち出そうと提案しても、「おカネがないからできない」「都や国から言われたことだけをやっていればよい」と、しらけた空気があったのだと思います。

お恥ずかしい話なのですが、区長になってからですよ、このような厳しい財政状況だと認識したのは。豊島区で生まれ育ったにもかかわらず、財政の細かい状況についての知識がゼロに近かったのです。

とはいえ、池袋は交通の便に恵まれた街です。東武東上線や西武池袋線の起点(始発駅)で、JRや地下鉄丸ノ内線、有楽町線、副都心線も乗り入れているため、1日の乗降客が250万人と新宿に次いで多い。にもかかわらず、輝きがないというか、目立たないというか、派手さ、明るさがない。

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