さらに、行政が現場の運営までやるのは難しいので、外郭団体も整備しました。財団法人豊島区コミュニティ振興会社と豊島区街づくり公社を統合し、「財団法人としま未来文化財団」として再出発してもらったのです。ここが第一線で企画を立案し、文化イベントを運営しています。
当初は「文化では、ごはんが食べられないぞ」と、周囲から袋だたきに遭いましたし、職員もいい顔をしませんでしたね。文化事業というのは財政が厳しくなると先に予算が削られるものなので、私が就任する前は文化事業の予算はゼロだった。それでも、少しずつ予算を増やして、住民や職員の間にも徐々に文化の意識が浸透していきました。
区長室は、チケットブース
――とはいえ、財政難の中では、文化施設を建設するにしても限度があったのではないでしょうか。
確かに悔しいけど、立派な建物をつくることは、おカネがないからできませんでした。行政が大きな資金を出した事業は、サンシャインの近くにある舞台芸術交流センター「あうるすぽっと」ぐらい。
文化芸術創造の拠点として「にしすがも創造舎」というものを設置したのですが、これは学校の跡地とその校舎を利用したものです。公園や道路などオープンスペースを活用しており、イベントは区民の力も借りながら仕掛けてきました。
1989年から25回続いている「池袋演劇祭」は今や恒例となり、アルバイトをしながら演劇活動を続けている方を中心に、40団体も参加してくださっています。地味だけど、みんなが演劇を楽しむイベントです。
この記事は有料会員限定です
残り 2830文字
