「芸術で食う」街に変貌?池袋の大胆改革 借金23区ワースト1から、文化の街へ大改造

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こうした現状をどうすれば破ることができるのか。そのためには、まず区の職員が夢を持たなければならない。そして、豊島区としてどういう目標を持ち、どういう街にしていくのかを明確にしなければならない、と思いました。

その結果、「文化事業」を打ち出す以外にない、と思い至ったのです。1980年代後半にバブルがはじけると、池袋では東武百貨店、西武百貨店などが美術館のブースを商品売り場に変えました。企業はどうしても、効率のよい形を求めます。確かに、文化はそれだけではおカネが生まれにくいので、一見すると効率が悪い。

しかし、文化事業は本来ならば、品格の向上につながり、やがて高所得層のお客さんを呼び込む効果が出てくるものです。自治体で展開する文化事業も、そのように人を呼び込む効果が期待できると思うのです。

資生堂名誉会長をくどき落とす

――とはいえ、ただ「文化事業の必要性」を唱えても、区の職員や住民にはなかなかピンとこないかもしれないですね。具体的にはどのようなアプローチをとられたのですか?

「文化による街づくり」という構想に具体的な肉付けをするために、文化に関する見識が高い福原義春さん(資生堂名誉会長。企業メセナ協議会会長や東京都写真美術館長なども務める)に、協力をお願いしました。

高野之夫区長

ところが、「豊島区の新しい文化をつくるために、委員長になっていただきたい」と言ったところ、あっさり断られました。「なぜ、豊島区で文化をつくらなければいけないのか」「豊島区で文化なんて育つわけがない」「区長、やめなさい。時間、おカネの無駄。懇談会や委員会をつくっても、行政は構想をつくることに一生懸命で、それで終わり。机の上に積んでおくだけ」と、もうさんざん。

それでも、私も粘って、「決して構想で終わらせません、必ず実現していきます」と、熱心に口説いた結果、福原さんは承諾してくださったのです。

この福原さんを委員長に懇談会をつくり、8回にわたる会合を開きました。福原さんも「受けたからには責任を持つ」と、すべての会合に出てくださいました。そして、2004年にこの懇談会が出した提言を基に、区が「文化創造都市宣言」を発表しました。

当時、区の組織を見ると、3000人いた職員の中で、文化関連を担当する人間はたったの2人だけ。しかも、そのうち1人は他部署との兼務でした。そこで文化商工部を設置するなど部署も再編し、10年近くかかりましたが、今や文化関連の職員は60人もいます。

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