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政治と性愛の関係性

――ですが、政治・経済と性愛との間に、どんな関係があるのでしょうか

先を焦ってはいけません。それではどうすれば生き残れるか。論理的には「経済や政治がどうあれ〈我々〉は回る」という新しい社会を――〈共同体自治〉が覆う社会を――作るしかありません。30年前に北イタリアから始まったスローフード運動がそのことを主題にしました。「うまい・速い・安い」もいいが、巨大システムへの依存は我々の〈尊厳〉を奪うと。

経済や政治の巨大システムが〈尊厳〉をどう奪うのでしょうか。

2つあります。まず、僕たちが3.11で経験したように、巨大システムが倒れれば巨大システムに依存する生活は一巻の終わり。相互扶助しようにも普段からソーシャルキャピタルつまり〈人間関係資本〉の準備がありません。非常時に〈尊厳〉は一巻の終わりです。

もうひとつ、最初は人々が自分たちの便益のためにシステムを利用していたのが、システムが巨大化することによって、今度はシステムが自らの都合に従って人々を利用していると感じられるように逆転します。人々は自らを入れ替え可能な部品としてしか自覚できなくなるのです。かくして平時も〈尊厳〉は終わります。

これに抗う方法が「経済や政治がどうあれ〈我々〉は回る」という状態をつくること。では〈我々〉とはどんな人間関係でしょう。システムの駒として動く人々の動機は〈自発性〉つまり損得勘定です。「巨大システムがどうあれ〈我々〉は回る」というとき〈我々〉の動機は損得を超えた〈内発性〉です。

2500年以上前の初期ギリシア以来、〈自発性〉に基づく社会と〈内発性〉に基づく社会が区別されてきました。損得勘定を超えた動機づけを調達しないと社会が存続できない事態に面した際、〈自発性〉にだけ基づく社会はただちに終了し、〈内発性〉に基づく社会だけが生き延びることが、繰り返し語られてきました。

――内発性とは、「自ら進んで行動を起こす」という意味ですか?

はい。ただし〈自発性〉と〈内発性〉は別物です。3.11以降の絆ブームのように、「生き延びるには絆が必要」といった枠組みは、損得勘定から〈内発性〉を持ち出すに過ぎません。初期ギリシアの知恵が示すように、そうした〈あさましさ〉には〈内発性〉は永久に宿りません。まさに〈鍵の掛かった箱の中の鍵〉問題です。

これを解いて、大人が〈内発性〉を手に入れるためのほぼ唯一の道が、性愛実践です。歴史的に練り上げられた性愛実践を通じて、人は〈自発性〉を〈内発性〉に変化させることができます。それが分かれば、人は同じやり方を、性愛実践から外側に拡げ、あまたの社会実践に拡張すればよいのです。かくして〈共同体自治〉に向かう手掛かりが得られます。

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