当然ながら、香織さんのような、子宮へ戻せる胚がひとつもなかった人は多く、胚移植に進めた人は17人中7人しかいなかった。検査後、新たな胚を作ろうと採卵からやり直す人もいたが、一方では、香織さんのように、なかなかやめられなかった治療を終結させた人も、何人か出た。宇津宮院長は、海外の先行研究から推し量って「半分くらいは戻せると思っていた」と言う。
だが、検査の意義は、あったと考えられる。治療を続けた人は、すぐに次の採卵ができて治療がスピードアップした。
着床前検査をしなければ、今回検査された胚はほとんどが子宮に戻されていただろう。そうしていたら、患者たちは、胚移植の不成功や流産の精神的苦痛、経済的負担に耐えなければならなかった。
体外受精は自費診療なので、同クリニックで胚移植を行うと1回戻すだけで20万円ほどかかる。宇津宮院長は、そこには公的補助金も使われていると指摘する。
「当院で公的助成金を受けた治療周期を調べたところ、3分の2は、妊娠していない周期に支払われていました。国や自治体も、限られた財源をもっと効率よく使わなければ」
また、不妊治療は、必ず妊娠という形でゴールインするわけではない。「不妊治療で最も難しいのは、治療をやめる決心」とつねづね言われていることを思うと、治療を卒業するきっかけがつかめた人がいたことも、検査の恩恵に数えあげていいのではないだろうか。
着床前検査は「デザイナーベビー」になるのか?
学会は、これから、臨床研究の結果をふまえて倫理的な議論をしていくと言っている。
着床前検査は、異常がある胚を戻さないのは命の選別であるという理由で厳しく規制されてきた。PGT-Aは基本的に生まれない胚を見つける検査なのだが、わずかとはいえ、生まれうる胚も除外されてしまう点が問題視されている。さらに、この検査は親が子どもの能力や外見を決める「デザイナーベビー」の入口だと警戒する声もある。確かに、人の心には「こんな子が欲しい」という欲があることは否定できない。すでに、国によっては、着床前検査は男女産み分けの方法にもなっている。
しかし、「命の選別」をめぐる議論は、羊水検査の反対運動までさかのぼり、それは高度経済成長のまっただ中だった1970年代のこと。当時はほとんどの人が20代で出産しており、高齢妊娠や不妊に悩む人はとても少なかった。
宇津宮医師の下で臨床試験に参加しようとしたが、基準をわずかに満たさず承認されなかったある女性は言った。
「『命を選ぶな』というのは、簡単に妊娠できる人の意見だと思う」
この女性は5年の治療歴があり、19個も胚を戻してきたが、取材の時点では、まだ子どもを抱けていなかった。不妊検査では何の異常も見つからず、妊娠するかもしれない胚を繰り返し子宮に返し続けてきて、まもなく40代に入ろうとしていた。今、着床前検査を望んでいるのは、このような、子どもを選ぶどころか、たったひとつの命を授かることもできず幾歳月を費やしている人たちだ。
これからの倫理的議論は、今、生殖年齢にある人たちの厳しい現状を理解した上で、本当に必要な規制は何かを考えていくべきだろう。
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