港区に残る「81年前の名建築」の意外な活用法 「港区立郷土歴史館」を360度カメラで撮影

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旧国立公衆衛生院は港区のがん患者緩和ケアや子育て支援施設、そして港区立郷土歴史館として活用されている(撮影:梅谷秀司)
東京23区だけでも無数にある、名建築の数々。それらを360度カメラで撮影し、建築の持つストーリーとともに紹介する本連載。第12回の今回は、港区にある「港区立郷土歴史館」を訪れた。
なお、外部配信先でお読みの場合、360度画像を閲覧できない場合があるので、その際は東洋経済オンライン内でお読みいただきたい。

山手線の目黒駅からも近い白金台一帯には、昭和戦前からのお屋敷街の雰囲気が今も残る。

このあたりにあるものといえば、旧朝香宮邸・東京都庭園美術館、美智子さまが卒業された聖心女子大学。結婚式場の八芳園はもともと、日立鉱山(現JX金属グループ)創業者の久原房之助邸であり、その並びにあるシェラトン都ホテル東京は外務大臣を務めた藤山愛一郎邸跡に建てられたものだ。

その白金台の目黒通り沿いに、以前から気になっていた建物がある。敷地の外からは、かなり時代色の感じられる風格のある大きな建物が見える。近寄って建物の外観や内部を見てみたいと思いつつ、近くには「東京大学医科学研究所」の表示があり、どうも関係者以外は入ってはいけない雰囲気が漂っている。

いつもその前を通るたび「ナゾの研究所」として気になっていたのだが、昨年の秋、その実態に一気に近づくことができる情報を得た。

港区立郷土歴史館として活用

実はここには、東京大学の医科学研究所と旧国立公衆衛生院という2つの歴史的建築のある敷地が隣接している。医科学研究所のほうは現役で使われているが、公衆衛生院はすでに移転して空き家になっていたところ、保存・改修されて、地元・港区のがん患者緩和ケアや子育て支援施設、そして港区立郷土歴史館として活用されることになったのだ。2018年11月1日にオープンしている。

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今回の取材のため、目黒通りから初めてこの施設の敷地内に入り、「旧国立公衆衛生院」=港区立郷土歴史館を訪ねた。建物の正面入り口側に立つと、壮麗な外観に圧倒される。東京大学総長も務めた建築学者・内田祥三氏(うちだよしかず[1885〜1972])の設計によるものだ。

内田祥三氏の代表作と言えば、東京大学本郷キャンパスの校舎群がまず思い浮かぶ。安田講堂のほか、関東大震災の復興で建設された各学部の校舎建物は、東大構内をまさに「学問の都」という雰囲気にしている。この医科学研究所(創建時は伝染病研究所、1936[昭和11]年築)、公衆衛生院(1938[昭和13]年築)とも、それらと同じく昭和戦前期のものだ。

建物の形は「コの字型」で、中央部に塔屋が立つ。「内田ゴシック」と言われる天にそびえるようなゴシック様式と重厚さの入り交じった独自のスタイルは、文京区本郷にある東京大学の一連の建物に通じる。

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