港区に残る「81年前の名建築」の意外な活用法 「港区立郷土歴史館」を360度カメラで撮影

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3階の郷土歴史館図書室は、公衆衛生院時代の図書室書庫で、以前の書庫空間も一部残されている。当時から、万一の火災時には金属製のシャッターを下ろして防火区画となるように設計されていた。

関東大震災では東京大学本郷キャンパスの図書館が被災し、「知の結晶」である大学の蔵書が焼失してしまったため、「災害からは、人とともに書物も守らなければ」という設計思想で、この建物の書庫も防火仕様とされた。

内田設計の同図書館は、アメリカのロックフェラー財団の寄付で震災復興したもの。そして、この公衆衛生院の建物もロックフェラー財団の寄付で建てられたという共通点があるのも興味深い。

玄関前の池の正体は?

1階にあった旧食堂は改修され、おしゃれなオーガニックカフェとして営業中。自然栽培の野菜を用いたメニューやオーガニック・コーヒー、スムージーなどが提供されている。

写真右の壁に貼られているのが泰山タイル(撮影:梅谷秀司)

この壁面の「泰山タイル」は大正・昭和のモダン建築によく用いられたもので、今回の改修で、この部屋のためだけに復元製造された。

昭和レトロな趣があり、今風なカフェの雰囲気とうまくマッチしている。

館内を巡った後、正面玄関から外に出て改めて建物を見上げてみると、6階建ての上に中央部には4階分の塔屋がそびえていて、戦前の建物にしてはなかなかの高層建築だと感じる。

玄関前の“池”は、実は浄水場を小型にした模型で、かつては150〜160cmの水深があった。これも公衆衛生の教材だったわけだ。

この敷地のさらに奥には東大の医科学研究所の建物が見える。こちらも、旧公衆衛生院に通じる「内田ゴシック」の重厚な建物。築80年以上を経て、昭和初期の内田建築が隣接する場所に現役で使われていることはなんとも喜ばしいことだ。

鈴木 伸子 文筆家

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すずき のぶこ / Nobuko Suzuki

1964年生まれ。東京女子大学卒業後、都市出版『東京人』編集室に勤務。1997年より副編集長。2010年退社。現在は都市、建築、鉄道、町歩き、食べ歩きをテーマに執筆・編集活動を行う。著書に『中央線をゆく、大人の町歩き: 鉄道、地形、歴史、食』『地下鉄で「昭和」の街をゆく 大人の東京散歩』(ともに河出書房新社)『シブいビル 高度成長期生まれ・東京のビルガイド』(リトル・モア)などがある。

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