88歳でも監督やめないイーストウッドの円熟味 アメリカの英雄から学ぶ「粋な老い方」
引退を夢見ながら嫌々仕事に出かける人の姿を、イーストウッドは身近に見てきた。彼の父親だ。9時から5時までの仕事をしていた父は、30代の頃から、「釣竿を持って船に座り、のんびりする日々を待ち焦がれていた」と、振り返る。しかし、父親は63歳と、あまり余生を満喫できない年齢で亡くなった。
だからこそ、好きなことを仕事にできていることへの感謝を、イーストウッドはいつも忘れない。
「毎日同じことの繰り返しなら、私だってやりたくないだろう。だが、映画作りでは、毎回違ったことに挑む。一方で、クルーは長い間私のために働いてくれている人たちで、家族みたいな存在だ。違うことをやる映画の現場に入って、おなじみの人たちに『やあ、2年ぶりだね』と言うわけさ。それは、すてきなこと。とても楽しい。私は絶対に引退なんかしたくないよ」(2016年の取材時)
しかし、そんなペースで作品を世に出し続ければ、当然のことながら、「当たり」ばかりというわけにはいかない。例えば最新作『運び屋』は北米だけで1億ドルを超えるヒットとなったが、前作『15時17分、パリ行き』は予算3000万ドルに対し北米興収は3600万ドルにとどまっている。その前の2本『ハドソン川の奇跡』(2016年)、『アメリカン・スナイパー』(2014年)は大成功したものの、もうひとつ前の『ジャージー・ボーイズ』(2014年)は興行的にふるわなかった。
「人生、先を考えちゃいけない」
だが、イーストウッドは、そんなことに一喜一憂しない。それもまた、仕事をし続けられる秘訣のようだ。もちろん、そういう態度でいられること自体が、ぜいたくではある。駆け出しの無名監督ならば、赤字を出したら次にもう作らせてもらえなくなるかもしれない。ここまでの伝説の人だから、その心配がないのだ。それでも、この冷静で余裕ある態度には、やはり感心させられてしまう。6部門でオスカーに候補入りした『アメリカン・スナイパー』を作ったとき、彼はこう言っていた。
「人生、先を考えちゃいけないんだよ。映画を作ったら、自分に聞くべきことは、『自分はこれに満足か?』『自分の中で、この映画は成功か?失敗か?』だけ。その後で、もし観客も気に入ってくれたとわかったら、『よし、人は、私が伝えたいことをわかってくれたということだな』と思う。さらに、誰かが暖炉の上に置ける物をくれるというなら、それはそれですてきだ(笑)」
彼は、映画作りを「子育て」にも例えている。
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