葛藤や逡巡が写真に写り込む
──現場にはどう入るのですか。
国連の機関やNGOなどからの撮影依頼というのもありますが、自分の意思で行くことが多いです。というのも、危険な場所ほど依頼がないから。例えばソマリアは政府が渡航するなと言っていますから、単独で行かざるをえない。帰国して写真や記事を売り込むのですが、大赤字でした。
──そこまでして撮らないこともある……。答えは出ましたか。
はっきりした答えはなく、葛藤、逡巡、後ろめたさばかりで前向きなことは何ひとつないですね。現場では自分の存在なんて無意味に近いと思いながら、でも撮りたい。そうしたエゴイスティックな部分と、いやそれだけじゃない、何かあるという部分のせめぎ合いでシャッターを切っている感じです。
──写真ならではですね。
以前は医者、看護師といった、悲惨な状況の人に直接手を差し伸べられる仕事のほうがまっとうではと思いましたが、次第にそう思わなくなりました。最近は写真でできることは何かを考えています。
──経験を重ねて変わってきた?
本書ではまなざしと表現していますが、置いてきぼりにできない、人の思いを引き受ける、でも、十全には理解できない。自分と相手とに片足ずつ乗っけた形で、引き裂かれるような感覚になるんですが、写真にはそういう感覚が写り込むと思うんですね。そうなれば、僕の葛藤とか、逡巡とかも見る人に届くのではないかと。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら