「写っている写真」はただ撮れている写真と違う

「カメラを持ったソーシャルワーカー」の葛藤

──以前はどう折り合いをつけていたのですか。

渋谷敦志(しぶや あつし)/1975年生まれ。立命館大学産業社会学部、ロンドン・カレッジ・オブ・プリンティング卒業。99年、大阪の釜ヶ崎を取材したルポで、国境なき医師団日本主催のMSFフォトジャーナリスト賞受賞。以後、アフリカ、アジアを取材。著書に『希望のダンス』『回帰するブラジル』など(撮影:今井康一)

若い頃は肉体的に追い込んでいました。24歳のときに「国境なき医師団」のエチオピアでの活動を撮ったときは、体力も準備も不足。肉体が疲弊するにつれて「撮るんだ」という自意識が小さくなって、自分が対象に開かれていきました。撮るのではなく写るということがわかった。他者とのつながり方と関係していて、自分を開かないと相手に向き合えないし、写らない。

──表現者に自意識は重要では?

「写っているけど撮れていない」と言われたことがあります。カメラマンの主観で世界を切り取るのが撮るってこと。ちょっと違うなと思いました。世の中、撮れているけど写っていない写真のほうが多いのではないでしょうか。

写真は撮らせてくれる人と、見てくれる人がいないと成立しません。1人では満たされなくて、誰かと誰かに補充されることで形になる。主体的な表現ではなく、人との関わりで考えています。

境界線をラインではなく、ランドと考える

──人との関係ではコンパッション、共感がキーワードですね。

本には共感とも書いていますが、パッションは受難なので、むしろ「共苦」。それはできない。できるのは苦しんでいる人のそばにいることだけ。写真って、撮ってない時間が99%で、その時間が写真家を写真家にする。一緒にいることが仕事していないようで大事な仕事なんです。それが写真の価値を決定づける。プロセスの最後に写真が残るという感じ。撮れなければ撮れなくていいと思っています。

──ただ、困難な状況を伝えるための撮影、取材自体が当事者に再び悲しみを思い出させてしまう。

難しいですね。2011年4月5日に福島の海岸で子どもさんを探す上野敬幸さんと出会ってから、何度も撮らせてもらい、話も聞きましたが、そのたびに傷口に塩を塗り込むようなことをして、と心は揺れます。しかし、その揺らぎをごまかさないことが当事者と向き合う最低限の資格で、引き受け続けなければならない。

──わかり合えないことを前提に向き合えば、境界線ができます。

世界の分断の現場に立ったとき、想像力を鍛える足場といったポジティブな面もあるのではないかと思いました。人々は国境を越えて交流し新しい価値を創造してきました。人の場合も、境界線を、人を隔てるラインとせずに、広がりを持ったランドと考える。それが、タイトルの「まなざしが出会う場所」で、そこを足場にして人を排除するのではなく、一緒にいられる社会のありようを想像したい。

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