日本初のW杯で主将、井原正巳の苦悩と充実感 1998年サッカーW杯フランス大会も振り返る

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

「ワールドカップはそれだけ国民のみなさんの期待が大きい。選手は大変なプレッシャーの中でやっているところもあります。フランスの後も毎回のように難しいシチュエーションになっているように報道されてきましたけど、最終的にチームがギクシャクしなければ問題ないと僕は思います。

自分の後にワールドカップでキャプテンを務めた森岡(隆三=解説者)やツネ(宮本恒靖=J1・ガンバ大阪監督)、長谷部(誠=ドイツ・フランクフルト)といった選手たちも、知らず知らずのうちに重圧を感じたと思います。ただ、その役割が自分のプレーにプラスになる部分はある。代表のキャプテンは誰からも認められるプレーと人間性が必要になりますし、僕もいい刺激になったのは確かですから。

井原 正巳(いはら・まさみ)/サッカー指導者。J2・柏レイソルヘッドコーチ。1967年滋賀県生まれ。筑波大学時代からサッカー日本代表として活躍。1998年には日本をW杯初出場に導いた。2002年に現役引退。A代表キャップ数122は歴代2位。2009年に柏レイソルのヘッドコーチ就任、監督代行も務めた。2015年から2018年までアビスパ福岡の監督。2018年12月より現職(東洋経済オンライン編集部撮影)

今の時代は海外でプレーする選手が増えて、キャプテンシーを発揮しなければならない大変さは僕の頃よりあるのかな。

フランスのときはモト(山口素弘=J1・名古屋グランパス・アカデミーダイレクター)や名波(浩=J1・ジュビロ磐田監督)、ゴンちゃん(中山雅史=J3・アスルクラロ沼津)のような人をまとめる力、引っ張る力を持った選手がいたんで、心強かったですね」

ロシアの後、代表キャプテンの大役は吉田に引き継がれたが、彼もまたアジアカップでカタールに敗れた後、「自分が未熟だった」と責任を痛感していた。

そうやって苦しみながらも進化を続ける次世代のリーダーに、先輩の井原氏は改めてエールを送った。

強い日本代表には必ず名キャプテンがいる

「キャプテンに選ばれることは本当に名誉なこと。それぞれ自分なりにどういう振る舞いをしていくのがベストなのかを考えてやってくれているはずです。個性派集団をまとめるのは難しいことですけど、自分の後、代々のキャプテンを務めた選手はみんな本当に適任。麻也もそうだと思いますね」

強い日本代表には必ず名キャプテンがいる。そのいい伝統の布石を打った井原氏の足跡をわれわれは今一度、再認識すべきだ。こうした過去の積み重ねを未来につなげていくことが肝要だろう。

元川 悦子 サッカージャーナリスト

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

もとかわ えつこ / Etsuko Motokawa

1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、1994年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。著書に『U-22』(小学館)、『初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅』『「いじらない」育て方 親とコーチが語る遠藤保仁』(ともにNHK出版)、『黄金世代』(スキージャーナル)、『僕らがサッカーボーイズだった頃』シリーズ(カンゼン)ほか。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事