日本初のW杯で主将、井原正巳の苦悩と充実感 1998年サッカーW杯フランス大会も振り返る
柱谷氏の後、代表キャプテンの大役を担った彼は「フランス切符獲得」を義務付けられる重圧とも戦った。それを何とかクリアし、やっとの思いで初の世界舞台に踏み出そうとしていたときに、今も語り継がれるショッキングな事件に見舞われる。
「外れるのはカズ、三浦カズ」という岡田武史監督の発言とともに、同じドーハ組でフランスでのリベンジを誓い合っていた1つ上のエース・カズ(三浦知良=J2・横浜FC)が直前キャンプ地のスイス・ニヨンから去ることなってしまったのだ。
井原氏は当時「今、ここにいるメンバーで戦うしかない。カズさんたちの落選のことはしゃべりたくない」と気丈に振る舞ったが、悲壮な表情で現れた同日の練習でひざを負傷。本番出場が危ぶまれる状態に陥った。
カズ離脱の葛藤とケガとの戦い
「もちろん動揺がありました。『本当にどうなるのか』と思ったし、ショックもありましたけど、キャプテンという立場上、それを引きずってはいけなかった。10日後くらいに初戦・アルゼンチン戦が控えている中でチームとして1つになって戦っていくしかないし、全体のパワーをそっちに持っていくことを最優先にしようと自分に言い聞かせていましたね。
岡田さんからも話があったし、頭の中で理解はしていたけど、当時の岡田さんはすごく若かったし、自分が同じ年齢でそれだけの決断ができたかどうか……」とキャプテンは指揮官の決断をリスペクトしつつも、自身の葛藤を何とか抑えようと懸命だった。そんな矢先にケガとの戦いも強いられることになり、本当につらかったに違いない。
それでもアルゼンチン戦が近づくにつれ、彼自身もチームも落ち着きを取り戻し、ケガからも回復。何とか本番には間に合った。けれども、世界というのは甘くなかった。
日本はアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカに3連敗。1次リーグ突破どころか、勝ち点の1つも挙げられずにフランスの地を去ることになる。これは悔しく屈辱的な結果に他ならなかったが、井原正巳というキャプテンが果たした役割は過去6回のワールドカップの中で最も大きかったのではないだろうか。
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