60歳を超えても「書いて稼ぐ男」の快活な生き方 裁判、町中華、狩猟…独特なルポを連ねる

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中学3年に進学するときにクラス替えがあった。当時は1学年の人数も多く、中2のときに同じクラスだった人は3人くらいしかいなかった。

『ここしかチャンスはない!!』と思い、勇気を出して手近な人に話しかけた。すると普通に会話をすることができ、それからは友達もできた。

「友達はできたんだけど、1人で映画館に行くクセはなおらなかったですね。

中3から高1までは楽しく過ごしましたけど、それでも大阪はやっぱり好きになれなかったです」(尼崎は兵庫県だが、大阪の文化圏と言われることが多い)

そのまま尼崎の高校に進学したが、高校2年で今度は東京の立川市に引っ越すことになった。好きなバンドマンがかつて在校していた高校を選び編入することにした。

「すごい奥手で彼女もいなかったです。麻雀を覚えて、ずっと麻雀ばかりやってましたね。あとは府中競馬場が近かったので、競馬も好きになりました。当時はアイフル、ヤマブキオー、カブラヤオーといった強い馬がいて好きでした。そんなことをしていたら大学入試に失敗して浪人することになりました」

浪人が決まった後、北海道に旅行に行った。最初は北海道をグルッと回ろうと思っていたが、旅の途中で出会った人に

「競馬が好きなら日高の新冠(にいかっぷ)に行くといいよ」

と言われたので、素直に足を運んだ。

「競走馬の牧場ばっかりで楽しくてしかたなかったです。新冠のユースホステルにいたら、少し年上の人たちがダラダラと過ごしてるんです。それがいい感じで。『ボブ・ディランは聞いてるの?』とか音楽を教えてくれたりしました」

旅行中に知り合った1人が、東京に帰ってきた後に連絡をくれた。

「浪人でヒマしてるなら手伝って」

と言われ、音楽関係の仕事を手伝った。まだ10代の北尾さんは、最年少だったのでいろいろかまってもらえて楽しかった。

「サラリーマンにだけはならない」

大学受験も法政大学に合格して、「いよいよ人生楽しくなるぞ!!」と思っていたときに父親が急逝してしまった。母親と妹は、母親の出身地である福岡県に帰ることになったが、北尾さんは東京に残って父親の会社の寮から大学に通うことになった。

「浪人時代に出会った、面白い年上の人たちが自由にがんばってるのに惹かれました。

そしてずっと地味にがんばってきて『そろそろ家でも建てようか』と思っていた頃にポックリ死んでしまった父親を見て『真面目にコツコツなんてダメだなあ』と思いました。その頃は将来の夢もなんにもなかったですけど『サラリーマンにだけはならない』ということだけ決めました」

大学在学中にタイ・インド旅行に行った。帰ってきたら、単位計算をミスしていて留年していた。

「親には『学費は出さないよ!!』って言われてアルバイトすることにしました。高円寺でビニ本を売る店の店長をしてましたね」

卒業後は『会社員にはならない』と決めていたが、とくにやりたいことはなかった。

好きなものと言えば、毎週通っていた競馬ぐらいだった。

「競馬専門誌で働くというのはどうかな? と思いましたけど、朝早く起きて茨城県のトレーニングセンターに行かなきゃいけないのはしんどいなと。やっぱり馬券で食うのがいいなと思いました」

そこで測量のアルバイトをはじめた。

終電が終わった後、地下鉄に入って地盤沈下やひび割れを調査する仕事だ。

「週払いのアルバイトだったのが非常によかったです。金曜日に給料が出るから、土日に競馬に行く。儲かったら仕事休むし、負けたらまた働けばいい。すっからかんになっても仕事に行けばメシを食べさせてもらえました。『全額、競馬につっこめる』のがよかったんです」

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