60歳を超えても「書いて稼ぐ男」の快活な生き方 裁判、町中華、狩猟…独特なルポを連ねる

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北尾さんの計算だと、4連勝すればかなりの金額を手に入れることができるはずだった。4連勝する“その日”が来れば、一気に大金を手に入れてバラ色の人生を送ることができる。

「いつか必ず“その日”が来るに違いないと思ってました。まあ、妄想だよね(笑)。」

そんなおり、母親から連絡があった。就職しないなら、帰ってきて母親の実家の家業であるお菓子屋を手伝えと言われた。

「『それは嫌だ。人生終わりだ』って思ってとりあえず『アテはある!!』って言いました。慌てて新聞の3行広告を見たら、百科事典の販売の仕事を募集してたのでそこに行きました」

試験もなく、運転免許さえあればできる仕事だった。昼休みに会社に残っていると、上司に

「将棋でも指そうか」

と誘われた。早指しをすると北尾さんが勝った。上司は

「もう一度やろう!!」

と言ってくる。次は、上司が勝った。その時点で12時40分くらいだったが、上司は1人で盛り上がって

「決着をつけよう!!」

と言ってきた。

「結局、もう1戦して上司が勝ったんですが、『やったー!!』って喜んでて。バカみたいだなって思って『辞めます』って言って帰ってきました」

仕事を辞めたことは親には言えなかった。「がんばってるよ」と言ってごまかしていたが、その後「お盆に一度帰ってこい」と言われた。

「おふくろと妹が自動車で迎えに来てくれたんだけど『毎日仕事で運転してるんでしょ、代わってよ』って言われたんです。ペーパードライバーだからマニュアルの運転はできなくて焦りましたね」

母親はすべてお見通しだった

うまく運転できなくて困っていると、母親が

「知ってんのよ。とっくに仕事辞めてるでしょ?」

と言ってきた。母親は、

・就職する
・実家の菓子屋で働く
・学生になる

のいずれかを選べと言った。

「たまたま競馬で10万円勝ったときがあって、新聞で学生を募集していた半年コースのマスコミ関係の夜学にもぐりこみました。結局、1回しか行かなかったけど」

母親には

「一度も言わなかったけど、実はジャーナリストを目指してたんだ」

と適当なウソをついた。これで半年間の猶予はできたとホッとした。

そんなとき、大学の後輩から連絡があった。彼は編集プロダクションでアルバイトをしており、北尾さんは企画会議のネタ出しなどを手伝ったことがあった。後輩は実家で公務員になることが決まっていて、会社に『辞める前に後釜を連れてこい』と言われていた。

「最初は『俺には地下鉄がある』なんて言って断ったんだけど『一度社長に会ってくれたら、僕が辞められるのでお願いします』って頼まれて、さすがに気の毒だなと思って会社に行きました」

会社は、人手が足りておらずすぐに採用された。地下鉄のバイトも続けつつ、編集プロダクションでも働くことになった。

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