60歳を超えても「書いて稼ぐ男」の快活な生き方 裁判、町中華、狩猟…独特なルポを連ねる

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雑誌『スコラ』の仕事を手伝うことになった。仕事初日に『ゲラが出るからチェックしてこい』と頼まれた。

「編集部についたら『赤入れといて』って言われて。赤? 赤ってなに? ってなりました」

編集部の人には聞けないなと思い、社長に電話して「赤ってなんですか?」と聞くと、「赤も知らないのか!! そこらに赤鉛筆が転がってるから適当になおせばいいんだよ!!」と言われた。

(編集部註:赤入れとは、校正作業のこと。原稿の誤りを修正する作業。赤い筆記用具で支持することが多いので、赤入れと呼ばれる)

「適当にぐりぐり書いてたら、怒られてね。ちゃんと書け!! って。終わった頃には終電もなくなっちゃって、青山一丁目から高円寺まで歩いて帰りましたよ」

こんなことなら地下鉄のアルバイトだけをやっていたほうがましだったと思い「辞めさせてください」と言ったが「ダメだ。1カ月は続けてもらわないと」と断られた。1カ月たった頃にまた「辞めさせてください」というと「なんだ待遇か。じゃあ給料上げるから続けて」と言われて、辞められなかった。

編集プロダクションでは、編集作業、企画出し、ライティングと一通りの仕事をした。

その頃に、その後何十年にもわたって公私共に親しくするライターの下関マグロさんとも出会った。下関さんは他社から出向してきていた。

「しばらくして編集プロダクションは辞めました。そこで出会ったライターさんに『ライターになっちゃえばいいじゃん』って言われましたけどね。電話は苦手だったし、取材に行くのもめんどくさかったし、向いてないなと思ってました」

家賃を払えない代わりに

その頃、いろいろあって住む家を追い出されてしまった。先輩のライターの家に居候させてもらうことになった。

家賃は払えないが、代わりにライター仕事の手伝いをした。

「先輩の家にいたら飯は食えました。仕事をしてないので、毎日プールに行ってましたね。プールで文庫本読んで『今日も充実した1日だったな~』なんて思ってました」

ある日、同じくフリーランスになっていた下関マグロさんから、

「アダルト雑誌にコラムを書いてくれ」

と頼まれた。

「それがはじめての署名原稿でした。ギャラも安かったけど、払ってもらいましたし。自由に何書いてもよかったですね。たしか『歌舞伎町について』など書きました。今読んだらつまらないと思いますけどね(笑)」

ある日、先輩の部屋に帰ると、先輩と先輩の彼女がイチャイチャしていた。

「『あ……』とは思ったけど、こっちも行くところがないから『俺は平気ですから!!』っていって、となりの部屋で寝ちゃったんですよ。そしたら翌日先輩から『そろそろ出てってくれないか?』って言われました」

北尾さんも先輩ライターが嫌になってきていたので、素直に出ていった。

親に頭を下げてお金を借りて、吉祥寺に引っ越した。初めて風呂付きのワンルームマンションに住んだ。

「実質そこからがライター生活の始まりでしたね。26歳でした。

『ライターになるぞ!!』という感じではなく『ものすごい楽ちんな業界見つけちゃったな。しばらくやるか』って感じでした」

同居していた先輩ライターともまだつながっていて、彼が作った編プロで仕事をもらったりもした。

ビジネス雑誌のデータマンや、ファッション誌のモデルの手配などいろいろな仕事をした。

「自分の悪いところは、興味がない仕事は非常に雑になっちゃうんですよ。一生懸命やんない。やっぱ俺は競馬雑誌がいいんだけどな~なんて思いながら日々過ごしてました」

そんなある日、学習研究社の編集者から声がかかった。

「僕はアフリカ雑誌を作ろうと思ってるんだ。君にはバンバンアフリカに行ってほしいんだ!!」

と言われた。

次ページ「行きますよ!!」と即答した
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