日本の「セクハラ議論」になぜか欠けている視点 性的同意をもっときちんと教えるべきだ

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

逆にそうした話を聞くと、日本の友人たちは、誰かにキスをする前に許可を得るなんて聞いたことがないとか、そんなことを聞くとムードが壊れる恐れがあるのではないか、と驚く。だが、信じてほしい。ムードが壊れることはない。

言葉で同意を得るのに加えて、単純な日本的発想だが、空気を読むという方法もある。人の表情や身ぶり手ぶりを読む、言葉の裏にある本当の意味を読むのである。相手の視点で状況をとらえ、相手の感情を優先する。相手が落ち着いていないようであれば、話をしてみるのがいいだろう。

「微妙にセクハラ」なこともたくさんある

同意に関してもう1つ重要なのは、相手がとても酔っていたり、意識がない場合など、同意を得られない場合を認識することだ。上司と部下など双方に力の不均衡がある場合は、同意を得ても疑わしいことがある。とくに日本では、部下が上司にノーと言うのは簡単なことではない。

とはいえ、教育を受けても、ある言葉や行動がセクハラかどうかを決めるのは、必ずしも簡単ではない。「微妙にセクハラだった」という言い回しを数えきれないくらい何度も筆者自身使ったし、人からも聞いた。だからこそ、コミュニケーションや、ほかの人の感情を大切にすること、ほかの人の視点から状況を考えることが、日常生活での持続的なセクハラ抑制には必要不可欠なのである。

セクハラや性的暴行の犠牲者の多くは、告発や告訴をしたり、その体験を友人や家族に話すのさえ、まだ恐れている。犠牲者たちが恐れているのは、過去の経験から、あるいは過去に同様のことをした人を見て、犠牲者はたいてい非難され、退けられ、自分では制御できない事柄について、罪の意識や当惑を感じさせられると知っているからだ。しかし、今後はセクハラや性的暴行は容認できないとすべての人が自覚するようにしなければいけない。

昨年のある夕方、私は友人と一緒にレストランからバーへと歩いていた。広島の大通りの1つを渡った後、1人の男性が街灯の柱に女性を押し付けて彼女の首にキスしているのを見かけた。女性は積極的という感じではなく、かといって男性を押しのけるわけでもなく、まったく無抵抗の様子だった。

次ページセクハラ問題を改善しようとする取り組みも
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事