「弟子を引き受けることが、ワシにとってもどれほどの覚悟と愛情が必要だったか、向こうの親にもわからせる必要があった。それもワシの行動で」とおっしゃっておられました。くだんの不良少年もその親も、以降は甘い考えをTさんに申し出ることはなくなったということです。
「向こうの覚悟は、そのとき、できたようだった」とTさん。「ワシの行動で」と言われたのが、つまり「背中をみせる」ことだったのは明白です。あいさつや言葉ばかりが巧みで、行動が全然伴わない人に出会うと、Tさんを思い出します。
芸は盗んでも罪にならない
「芸は盗むもの」という言葉を、伝統芸能界や落語界でよく聞きます。私は教えるのが苦手な人、または教えるのが面倒な人から都合よく発せられた言葉だと、ずっと受け取っていました。最近、亡くなられた笑福亭松喬師匠の、「教えられた芸はすぐに忘れるが、盗んだ芸は忘れない」という言葉に、目からウロコでした。芸と教育の違いはありますが、今日のコラムに登場された親子さんに通じるものがあります。
「盗むにもキャリアがいる」は立川談志師匠です。見せるだけの背中があっても、それを読み取る側の子供の感性なり知性がないと、この言葉は成立しません。
見せるに足る背中が先か感性が先か? 鶏が先か卵が先か? ここは間違いなく、鶏でしょう。
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