性的虐待を人格交代で凌いだ女性の壮絶半生 トラウマ治療で乗り越えた48歳女性の軌跡

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高校卒業後も、実にいろいろなことがありました。最初の結婚は22歳。24歳で阪神・淡路大震災に遭い、この年ようやく念願の子どもを授かります。しかし結婚生活は困難を極め、産後は関東へ引っ越したのち、離婚することに。29歳で再び結婚をして第2子を授かりますが、33歳で2度目の離婚をします。

結婚や出産を繰り返したのは「男性依存と男性恐怖症の両方があったから」。孤独は耐えがたいものの男性は恐怖の対象でもあるため、「子どもをつくる」という明確な目的がない限り、肉体関係は受け入れられません。そのため「結婚という型にはめるしか選択肢がなかった」のです。

虐待を受けた人のなかには「子どもを持ちたいと思えない」という人も時々いますが、なつきさんはそうではありませんでした。親戚の幸せな家庭を見てきたため、「子どもを持ちたい」という気持ちはずっとあったそう。ただし、自分が親にされたようなことは絶対に子どもにしたくない。ひたすらにそう思いながら、2人の子どもを育ててきました。

子どもを守るための離婚

離婚は2度とも、子どもを守るためでした。1度目はなつきさんがぜんそく治療で入院している間に夫が失踪し、「最も頼りたくない」母親に頼って子育てするしかなかったから。2度目は実子が生まれた途端に夫が豹変し、上の子(継子)につらく当たるようになったから。継父にひどい虐待を受けて育ったなつきさんは「もう1人の私を作りたくない」と思い、夫が初めて子どもに暴力を振るった翌日、離婚しました。

引っ越し魔で、これまでの転居回数は25回。せっかく人間関係を築いても、「自分から壊しに行く衝動」に駆られるため、「ゼロからやり直すためのリセットキー」として、引っ越しをせずにはいられないのです。この間、整形外科や内科、精神科への入退院も繰り返し、服薬量は増えるばかりでした。

最初の妊娠がわかったのと同じ頃、叔父の葬儀に出たストレスなども重なり、ぜんそくを発症してしまいます。30歳から10年もの間、車いす生活を余儀なくされたのは、ぜんそく治療で使われたステロイドにより“大腿骨頭壊死症”を患い、さらに医療ミスも重なったためでした。

歩けなくなってからは母親が同居し、なつきさんの入院中など、子どもたちの面倒をみてきたそう。意外に感じられるかもしれませんが、虐待親が“孫”をかわいがることは、珍しくありません。なお、子どもたちは2人とも、広汎性発達障害の診断を受けています。

2人の子どもを抱えるシングルマザーとなってから、なつきさんは職業訓練校に通いながら猛勉強をして、わずか3カ月で簿記3級と2級にダブルで合格します。言うまでもなく、これは決して簡単なことではありません。この資格を武器に、障害者枠で、一流企業の職を得ることができました。

こんなにも頑張れたのは、上の子を私立の学校に通わせ続けたいという、その一心でした。小学校時代は不登校だった上の子のため、中学は30校を見てまわり、ようやく合うところを見つけて毎日通えるようになったのですが、それが私立の学校だったのです。

職場では仕事をするほどに評価を受け、やりがいのある仕事を次々と任せてもらえるようになりました。経済的にも余裕が生まれ、「初めて生きる価値、存在意義みたいなもの」を感じたといいます。しかし今度は無理をして働きすぎてしまい、服薬量は天井知らずとなっていきました。

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