そして、市内の繁華街にあるすし屋さんに再就職した。
「そこが絵に描いたようなブラック企業でした。店長はオーナーに完全に洗脳されていましたね。労働時間はめちゃくちゃ法外で、店長は朝7時出勤で深夜2時までぶっ通しで働いてました。それで月給30万円ちょいですからね。狂ってます」
店長はストレスからか、空いている時間にはパチンコに通いお金を全部使ってしまうようになっていた。
「店長が途中からパチンコはやめて、貯金するようになったんです。でも自分のためにおカネを貯めてるわけじゃないんです。
『1000万円貯めたら、俺もオーナーに認めてもらえるかな?』
とか言ってるんですよ。本当に洗脳されてますね」
お店を辞め開店準備へ
労働時間が長いだけではない。失敗すると、ひどく暴力を受けた。もちろん近藤さんも、店長に負けず劣らずのひどい待遇を受けていた。
「そこで1年間働きましたけど、だんだん頭がおかしくなってきました。病院に行ったら、鬱の診断が出ました」
休養ではなく、お店を辞めることにした。
「お店を辞めるとき、つくづく僕は集団の中で働くのに向いていないんだな、と思い知りました。だったら、1人でお店を開店するしかないと覚悟を決めました」
開店資金を貯めるためにしばらくスポーツバーなどで働いた。ちょうどそのときに、父母が入れていてくれた保険が満期になり現金が戻ってきた。
「お店を開けるだけの現金が手元にできたので、場所を探すことにしました」
探していると、現在の松寿しがある場所が見つかった。元々はバーであり、前のオーナーが飛んだ(無断でいなくなった)後、1年間放置された物件だった。
物はすべて置きっぱなしで、冷蔵庫を開けると黒い液体が流れ出てきた。苦労して綺麗に掃除をし、やっとオープンにこぎつけた。
「すし職人とはなんだろうと考えました。そして“仕事をしたすし”を出すことにしました。代表的なところでは、江戸前ずしと大阪ずしですね」
僕のつたないおすしに対する認識は、「なるべく新鮮な魚を使ったおすしのほうが美味しい」
くらいのものだった。でも冷凍冷蔵技術ができたのはここ数十年の話で、おすしの歴史はもっともっと古い。
魚介類を日持ちするよう加工するのが、おすしの源流なのだ。
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