タイを酢と塩で強めに締めて、その上に煮返しを塗っている。煮返しとは酒とみりんを合わせたものからアルコールを飛ばして味を付けたものだ。その上に薄い板上の昆布が乗っている。おぼろ昆布を削りながら製作するとき、最後に残る部分だ。職人が手作業で作ったときにだけ残る食材で、今は職人が少なくなり機械で作ることが多いため手に入れるのが難しいという。タイにはすでに味が付いているので、醤油は付けずに口に運んだ。
僕の知っているおすしとはまるで違う味だったのでビックリしてしまった。もちろん美味しいのだが、それ以上にまったく知らない食べ物に触れたことが楽しかった。
それからも凝ったおすしが次々に出てくる。普通のおすし屋さんでは珍しい昆布締めにしたブリのおすし、大阪では調理に手間がかかるためあまり食べられないコハダのおすし、スルメイカを開いて干したものを水で戻し改めて煮イカにしたおすし、などなどだ。どれもとても手間がかかっているのがわかる。
続いて、煮ハマグリのおすしが出てきた。
「こちらは江戸前の仕事になります。ハマグリのおすしは大阪ではほとんど食べられないですね。生きている状態から殻をむき、その身を水から沸騰させていったん引き上げます。その煮汁に味を付けて、そこに先程の身を漬け込みます」
まずハマグリの殻を開けるのがものすごく大変だという。本には
『貝割機で開けましょう』
と簡単に書いてあるが、新鮮なハマグリはビッチリと口を閉じていてヤワな道具では開けられない。ハマグリもまさに命懸けだから必死なのだ。近藤さんはゴツいマイナスドライバーで強引に開いているという。
口に運ぶと、ハマグリの美味しさをギュウッと固めたようなおすしだった。
具材はそれほど珍しいものではなくても、手間暇をかけると未知の味になるんだと驚いた。大阪でちょっと美味しいモノ食べて帰ろう、くらいの気分だったのに、すっかりカルチャーショックを受けてしまった。
祖父も父親も修行経験はなし
スシニィこと近藤さんがどうしてこの小さいけれどすし愛にあふれるお店を始めたのか。松寿しの店内で話を聞いた。
「出身は今里新地(大阪市生野区)のど真ん中ですね。実家は祖父が開いたおすし屋さんを経営していました。僕の祖父が働いていた頃は定年が50歳だったそうで、会社を辞めた後に『さて何をしようか?』と考えておすし屋さんを始めたそうです。だからきっちりと修業をしたわけではなかったんですね」
今里新地はもともと遊郭だった地域だ。近藤さんが小さい頃はまだ色街の名残があった。
そこへ通うお客さんや、近くの工場の社長さんなどがすし屋を訪れていた。
「その後、父親が跡を継ぎました。父親は就職が決まっていたのに辞めさせられたそうです。父親も修業には行かなかったんですが、近所のおすし屋さんの技術を見て盗んで覚えたそうです」
そんな環境の中で、近藤さんは育った。
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