「介護保険を作った男」が語る舞台裏のドラマ 壁に当たるたびに、「新しい主役」が現われた
そのときに新たな動きとして現れたのが、それまで介護保険の議論や準備にさまざまなレベルで関わってきた有識者や地方自治体、さらに市民団体の有志による「凍結反対運動」でした。これらの人々は、介護保険制度創設が暗礁に乗り上げるたびに自らの意志で議論に参加し、制度導入側に参加していった人々でした。こうした運動は大きな盛り上がりを見せました。新聞社が実施した当時の世論調査では「予定通り実施を」と答えた国民が71.8%にも達したのです。このため、保険料の特別措置は講じられましたが、介護保険制度は予定通り2000年4月に実施されました。
制度創設の過程は「駅伝」
――時期によって、どんどん主役が変わっていった。
山崎:介護保険制度の創設までの過程は、まるで「駅伝」のような感じがしますね。制度化の先頭に立ち、たいまつを持つ人は、度々変わってきた。最初は、厚労省の行政官が先頭を走っていたが、それが有識者の手に渡る。しかし、それが、関係業界のエゴに遭って完走が危うい状態に陥るが、政治主導によって窮地が打開される。そのまま行くかと思ったら、その政治の力によってふたたび迷走状態になり、最後は多くの国民の声に導かれるようにして制度が実施された。
私は、こうしたことが可能だったのは、幾度となく苦難に直面するたびに、それまで制度化を傍観していたり、反対していた人が、自分の意志で制度創設の「列」に参加していき、その結果、時を経るにつれ介護保険の「隊列」が大きく膨れ上がり、最後は日本全体を突き動かすまでに至ったからだと感じています。
――2020年を目前にして、日本の社会保障政策は、大きな転換期を迎えていると言われていますが、介護保険導入時に比べて、どのように感じられますか。
山崎:ある意味では、現在は、介護保険制度を議論していた1990年代後半より事態が厳しくなっていると言えるかもしれません。介護保険が対処しようとした課題は「高齢化」の問題でした。約6年かかりましたが、高齢化がいよいよ本格化する2000年代に入る前に介護保険制度が導入でき、社会の変化に制度がどうにか間に合ったと言えます。
これに対して、今後日本社会が直面する最大の課題は、「人口減少」です。人口減少も、元はと言えば1990年代後半から2000年代という20年前、さらにはその前から進んでいた「少子化」が、今になって表面化しているわけです。少子化対策の重要性は、高齢化対策と同様にかなり前から指摘されてきましたが、残念ながらいまだにその流れを食い止めるに至っていません。
人口減少がもたらすだろう不都合なことの多くは、これからはっきりとした形で日本社会に表れてくるでしょう。その点で、遅きに失した面は否定できませんが、人口減少に歯止めをかけていくためには、総合的な対策がますます必要となることは間違いないと思います。その中で、社会保障制度を「全世代型」へと転換していく改革に取り組むことが求められています。
――社会保障について「国民的論議」の必要性が高まっていますが、介護保険制度の創設過程は、参考にしてほしいですね。
山崎:そうですね。社会保障政策は、関係するステークホルダー(利害関係者)があまりに多く、かつ多様です。そのため、具体的な論点を個別に議論すると、それぞれの関係者の意見が対立する要素が随所にあるため、政策面で合意を形成することは容易ではありません。そうした中で、世代や立場を超えた「国民的合意」を形成するためには、社会保障の問題を一部の専門家や関係団体だけの議論や利害調整にとどめることなく、広く国民が議論に参加し、互いに責任を分かち合う形で合意を地道に積み上げていくこと。そのことが何よりも大切となります。
その点で、介護保険制度の導入に至るまでの足跡は、大いに参考になると思いますね。制度の立案・審議・準備といった一連のプロセスを、国民に対してオープンな場で一定の時間をかけながら確実に進めていくことです。そのためには、少なからず時間が必要となります。なかには、1つの内閣や政権では完結せず、超党派による対応が必要な場合もあり得ます。介護保険が、最後に国民的な合意を形成し得た背景には、長く激しい議論が続く中で、次第に改革の趣旨が国民の間に浸透し、多くの人々がさまざまな形の議論や実践に参加していったことがあります。
これからの社会保障改革を考えるうえでも、ぜひ、多くの方々に目を通していただきたい本だと思います。
(聞き手・東洋経済出版局)
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